珍客

エクアドルの二日目は、さらに高地にある湖に向かいました。国立公園にもなっているものの、訪れる人はほとんどいないらしく、何かしらの管理事務所やもちろんトイレも何もないとのことでした。そのため、往復の四時間ほどはトイレがないので、そのつもりで対応して下さいとガイドさんに言われました。

街中から車でどんどん高地に上っていきました。人もまばらになり、家や建物の間隔も広がり、ついには、電柱と電線がなくなりました。つまり、電気が通っていないのです。でも家はあって、農作業している人もいます。当然、トラクターや耕うん機はなく、くわなどの道具を使って女性も一緒に畑を耕している姿を見かけました。

そうこうしていると、目的の国立公園に到着しました。一応、入場料的なものを徴収し、ゲート替わりのチェーンをはずしてくれるおばあさんが座っていました。屋根も何もないところにぽつんと座っているのです。なんとも不思議でした。もちろん連絡していたわけではありません。来るか来ないかわからない我々のようなものをなんの期待もなくただそこに座ってまっているのです。現代人からしたら信じられないことです、雨もぱらつくなか、来るかわからない人をまっているなんて。

天気もあまりよくなかったこともありますが、そもそも訪れる人が圧倒的に少ない場所でした。その分、土地のエネルギーは汚されておらず、目的の湖の水も抜群に浄化作用があるようでした。車を降りて、ぬかるみの中を湖に向かって歩きました。20分くらいあるけば到着するとおもっていたのですが、なんとガイドさんも初めての場所だったので、若干道に迷い、ぬかるみに足を水没させ同行者全員、ほぼ靴は冠水しました。 そこまでして到着した湖は、派手さや高揚したものはありませんが、何者にも汚されていない威厳とクリアな感じがしました。ここまで人の手が加わっておらず、自然の姿を維持している場所は少ないのではないでしょうか。何とも言えない尊さを感じたのです。靴を水没させ、ぎょっとするような不愉快さに負けず歩いたかいがあったと思いました。

帰りは、道を間違えず約20分程で車まで戻りました。みな、足が濡れてしまっていましたが、電気も水道もない場所なので、持ち合わせていたウエットティッシュなどで足をきれいにするのに必死でした。そうこうしていると、ガイドさんとドライバーさんがスペイン語で何かひそひそ話をし、よしっといった感じで私たちに英語で話かけてきました。お願いがあると。一瞬、みんなが固まりました。何事だと。。。。

そうすると、知らないおじさんがいつの間にか車のそばに立っていました。ますます、ぎょっとしました。しかし、何てことはない、車に乗せてほしいということだったのです。車で2時間ほど下った場所までいきたいので、途中まで乗せてほしいと。荷台のスーツケースを端によせて、そこに座るので乗せてあげてほしいというのがガイドさんのリクエストだったのです。もちろん、荷台でいいなら

何の問題もないと思い、快諾しました。約2時間黙っておじさんは座っていました。ここだけの話、お風呂があのあたりにはない事に確信を持ちました。微妙な臭いがしたのです。我慢できないわけではないですが、鼻のいい私にはじゃっかん心地悪い時間でした。

しかし、予定通りの場所でおじさんは車から去っていきました。帰るときはどうするんだろと思いました。同じように帰るとすると、へたをすると何日かまたないといけなさそうだったのです。

私たちが行った日はおそらく我々と、ドイツ人のカップルとすれ違ったのですが、この2組だけだったようです。そんな感じの中で暮らす人は、時間の概念が全く違うのだなと思いました。いい悪いという事ではなく、当然、そのおじさん達のような時間軸もあるのです。我々が生き急いでいるのかもしれません。その結果、どうにも苦しい思いをしたり、辛く感じたりもしているのでしょう。一方では、得られるものも多く、快適で便利なくらしをしている。 時間については、私自身のテーマであるのですが、どういう時間のなかで生きるか、もちろん24時間はかわりないのですが、そこをどう生きるか、使うのか、そんなことを数年考えてきました。何かに追われるように生きていた感覚を手放せるようになってきたので、こういう世界が目の前にあらわれたのかもしれません。 不便で大変なことも多そうな暮らしですが、悲壮感はなく、何かを訴えたり求めるような雰囲気もなく、とても穏やかそうであったのが印象的でした。







睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵