上がって下がって

エクアドル、3日目はさらなる高地へ上がりました。5,000メートルくらいの標高で、風も強く冷えかたも東京の2月のような感じでした。予定では、国立公園内を散策予定でしたが、私は風邪気味とあまりの寒さで散策は丁重にお断りして車とカフェで仲間をまつことにしました。おなかがすいているわけではなかったのですが、あまりの寒さに何か暖かいものが飲みたくてカフェに行きましたが、コーヒーなどの弱った胃には優しくなさそうな飲み物しかなかったので、一昨日と同じスープを頼んで寒さをしのぐことにしました。

待つこと数分、予想通りの大きなボウルに一昨日と同じようなスープが運ばれてきました、味もほぼ同じで、これならいけそうだと暖をとりつつ頂きました。体が冷えていて、胃もよわっているときにはこの手のスープはなんとも貴重で寿命がのびるような感じさえありました。大袈裟ですが・・・

そうこうしていると散策メンバーも帰ってきたので、車に戻り次なる目的地に向かいました。今度は5000メートルからいっきに海抜0メートルまで数時間で下りました。景色はみるみる移りかわり雲の上にいたのが、雲と同じ高さを通過し、下っていくと、真冬の東京からいっきに沖縄にやってきたような様子の違いでした。5000メートルの山では背の低い木がまばらに生えているだけであったのが、海抜0メートルでは、緑の木々が生い茂り、コーヒーやバナナが栽培され一気に熱帯の雰囲気です。 下るにつれ、真冬の恰好をしていた私たちも、一枚また一枚と薄着になっていって気づくとTシャツ1枚といった様子でした。 ほんの数時間前までアルパカのセーターを着て震えあがっていたのに。。。。

到着した場所は、海外との貿易の拠点になっていて横浜や神戸の雰囲気でした。潮風のかおりもし、生ぬるい風がふいていました。経済特区的になっていて、ビジネス客もおおいのである区域は完全に警察が警護していて日本人が夜でも自由に歩き回れるような状況でした。しかし、保護エリア以外は相当危ないようで、一歩そこからでようとすると警察官がすっとんできてでてはいけないと注意されホテルまで連れ戻されるような感じでした。

保護エリア外は、途上国にありがちなスラム街的な様子で、家屋か物置かというような家並みが続き経済格差を目の当たりにしました。理想と現実をここでも垣間見たのです。子どものころ、どうしてこんな格差がまかり通るのかと、憤りを覚え、なんとかできない大人は怠慢だとおもっていたことを思い出しました。 今となっては、私も同じような大人になってしまったものだとふと我に返る瞬間でした。

今の自分に何ができるのかと問うても大したことはできないよという答えしか自分の中からは聴こえてきません。でも、多少なりともアンテナがまだ生きていたんだという安心感も感じました。とりあえず日々の暮らしを丁寧に、生きるという選択をすることが少なくとも今できる最低限のことかと改めて認識しました。








睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵