課題

よくあるパターンとして、問題解決型で生きてきたように思います。何か、不愉快なこと、リスクがあること、メリットを得られるためには、といった視点で目の前を通りすぎる事象を扱い、対峙してきたように思います。そのため、基本、何か問題があっても逃げるとか見て見ぬふりはしない傾向がありました。何度か逃げてみて、結局逃げても同じだったということが経験則であったので、逃げずにとにかくベストをつくすような立ち位置だったのです。 そういう自分の、スタンスを自己認識していました。とはいえ、完璧でない部分もあるだろうともおもっていました。しかし、よくある話で、具体的にそれが何かというところには意識がいってなかったのです。

先週、小学校の時の恩師から電話がありました。会計士としての私に聞きたいことがあるとのことでした。一通り、できる限りの回答をして電話を切りました。恩師は、電話でのやりとりで得たい情報をえられて満足してくれていたようで、一つ恩返しができたような気持になっていたのです。 この電話はたんに、たまたまライフステージの変化が恩師にもあり電話があったとの認識だったのです。そこで役にたててよかったなと。

しかし、思い知らされることになりました。逃げても無駄だと、基本思っている私ですが、1つどうしても逃げたいことがあります。これは、ずっとノーマークでした。

それは、小学生の当時、その恩師が、そこに気づいていてなんとかしてその私の癖というか逃げたい部分を克服させようとしていたことだったのです。恩師は、2年に渡り、ありとあらゆるパターンを作っては私にその課題に向き合うように仕向けてきました。でも、当時の私は、泣いてとにかくそれだけは許してほしいといつも逃げていたことだったのです。

うすうすそういう部分があるのは覚えていましたが、かなり顕在意識からはきえて、私は安穏と日々を過ごしていたのです。誰もそれを知る人もいないし、ほっとのんびり暮らせてラッキーだとおもっていたのです。

今週、とうとうそこに直面する時がきてしまいました。この1月、心の状態が、本調子でないというか、まるで花粉症のように、さくさく進まないとおもっていて、知人に相談したのです。何が、問題だとおもうのかときたんない意見をきいてみました。

その回答が、恩師が私に投げかけてきていた課題にむきあべきだというものでした。

ああ、30年逃げてきたのに、ここで捕まったというか、やはり逃げ切りはないんだなと

諦めがついた、ある意味記念すべき日となりました。

知人は、もちろん恩師のことや、恩師が認識していた私の課題を当然しるわけもなく、でも

そこを指摘してきました。ああ、ますます諦めるしかなくなったのです。

どうしてもその時は向き合えないこともあります。なので、後回しもありでしょう。しかし

やっぱり追いかけてくるんだなと、改めて思ったのです。過去生の課題が今世にもつながる、妙に納得してしまいました。














睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵