なんでああなんだろう

「なんでああなんだろう」「なんであんなことするんだろう」「なんであんなことやめないんだろう」「なんであんなこというんだろう」きづかぬうちに口からでていたり、心の中で思う事はないでしょうか。思い返してみても、たぶん「いや特にそんなことは、、、」といった感じかもしれません。


人は人だし、自分と他人は違うものだから、みんな違ってみんないいと歌もあったように思います。今の時代、個の個性を認める風潮は表むきはとても強く、それが当然という雰囲気を感じます。それを否定されたときの個の主張も表現しやすくなったこともあり、差異を表明しそれを受け入れてもらいたいと声を上げる人もそこかしこで目にします。時には、自分勝手と個の尊重が対立してwebで話題になることもあります。


しかし、実際のところ自分と他人を差異を人は本当に理解して受け入れているのでしょうか。受け入れている実際の状況があれば、ただの風潮ではなく実態として差異の理解があれば、差異を知ってほしい、認めてほしいという主張をする人はそもそももっと減っていいはずです。しかし、増える一方のように感じます。


風潮として、自分は自分、相手と自分の相違をみとめて受け入れないといけないから、そういう言動はするけれど、実際のところ、心の奥深くでは差異をみとめてはいないのではないでしょうか。その実態をあらわるのが冒頭のフレーズかなと思います。

子供と親も似ているとは言え別の人間で、まったく正確が異なることはよくあります。親が子供を理解できない、こうしたらいいのに、ああしないほうがいいのに、どうしてあの子はああなんだろう、日常よく感じたり、聞いたりフレーズでしょうか。パートナーとて同様でしょう。


本質的に、相手と自分が違うということを理解し受け入れることは実はとても難しい。しかし、これができるととても生きやすくなるということになります。自分はこうだから、こう思うから相手も同様に思っている、考えているという枠組からでることができればスムーズに人間関係が進むでしょう。日常のたいていの悩みは解決するのでしょう。


他人を理解することが難しいのは、自分を理解してもらえていない不満足感が根底にあるように思います。まずは自分のことをわかってほしいという欲求が根底あり、そのため、わかってほしい気持ちや考えを他人も持っていてほしい、そこから、持っているに違いないと理想はどんどん膨らんでいくわけです。インナーチャイルドやバーストラウマがまたここでも影響しているのです。

影響を与えている要因が軽減できれば、現実の行動や言動も改善されていくでしょう。日々できるところから根本原因を軽くしていきたいものです。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵