リーディングなぜ始めたのか2

提供してみる側にまわるという選択肢は、ヒーリングをうけたヒーラーの方から提示されたものでした。ヒーリングを受けたことによって確実に変化があった実感はあったものの、100%想定している状況にはなく、何かまだ変化させないといけないものがあるようだと感じ始めていたころだったのです。 いったん階段をのぼって踊り場でだらだらしている感覚になってきていました。


そんな時に、私が望むのであれば、リーダーとしてリーディングを提供する選択肢があると聞いたのでした。ヒーラーではなくて、リーダーなのかと正直思いました。理由は、私はリーディングを当時うけたことがなかったので、よくわからなかったのです。何するんだろう?という感じで若干興味が薄れたのでした。


その一時の盛り上がりから数か月たったころ、やっぱり踊り場で停滞している感覚を強く感じ、また切るカードがなくなったと感じました。そして、ないと思っていたけど残っていたのがリーダーになることだったのです。人にリーディングを提供して人のためになればいいとかそういう利他的な発想はあまりなく、自分のように糸がからまって停滞している人が私のリーディングで絡まったものをほどくことができ、生きやすくなるなら面白いかもしれないと思いました。ちょっと難しそうにみえるパズルを解く一手をうつのは面白いと。そんなきっかけで始めたことでした。


それまでも仕事柄や性格もあって、人から相談を受けることはよくありました。これにリーディングが加われば精度はあがり、より効果的に自分の価値を活かすことができるなら一石二鳥であると効率主義が反応したのです。そして、私からリーディングを受けた人の絡まった糸がほどけ、問題解決の糸口がみつかり自分で進めるようになるなら、それは人間の望ましい生き方ではないかと。


私は、自立した人が大好きで、強くあこがれています。私もそうありたいと思っているし、そういう人が増えればいいなと感じています。


誰かにあれこれ聞いたり、顔色をうかがいながら生きるのはつまらないように思うのです。誰かに依存しがちな生き方は他人軸でその人らしくは決してないのです。そうなると自己不一致が生じ、外界との不整合がうまれ、不協和がうまれ、人間関係や社会でのコミュニケーションは悪くなっていくのです。そうなるとこの世界はなんだかざわざわして、そこにいるのが煩わしくかんじるような場になっていく。


私は、面倒なことや手間のかかる非効率も嫌いなので、争いごとがあるより、ないほうがスムーズにことは進み、それを解消するための時間もコストもかからないほうが穏やかで効率的な感じがして好きなのです。そんな自分のいいなと思う穏やかな世界につながるならばと始めたのです。悩んでいる人が多いより、少ないほうが明るそうでいいなと、悩んでいる人がへればいいのだと短絡的に考えました。


現時点では、ヒーリングの能力開発も受けたので、今はヒーリングもリーディングも提供することができるようになっています。最近、町を歩いていると、方向性の定まらない、とげとげした人が多いなと思います。そんな人とすれ違いながら歩くのはとても私は歩きにくいなと思います。ヒーリング受ける人が増えて、交差点がもっと歩きやすくなればいいなと、今日改めて思いました。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵