お金に翻弄される

昨日、お茶会をして話題になったことです。お金がないとなぜ、困ったような気持ちになったり、大変だとか、辛い、惨めな感じになるのかという疑問が参加者からありました。お金は、もともと価値交換をしやくする、測定を簡単にする、持ち運びをしやすくするといった目的のために発明された道具です。それ以上でもそれ以下でもないのです。


しかし、それが少ないとか、交換するのに足りないとなった場合に、惨めな気持ちやネガティブな感情をいだくことが多いようです。逆もあるでしょうか、人より多く持っていたり、交換してもまだ余裕がたくさんある場合、なんだかポジティブな感じや優越感を感じたりする場合もあるのではないでしょうか。


事実はとても、シンプルで、「交換するのに〇〇円不足していた。だから交換できなかった」または「交換しても××円あまっていた。ほかのものも交換できるな」という事実が存在しているだけです。


しかし、多くの人は、前者の場合は、「ああ交換できなくて、みっともない」「こんな交換もできないくらいしか自分はお金をもっていなくて惨めだ」という感情を抱きます。後者の場合は、「こんなにたくさんもっていて私は偉い」「まだまだ沢山あって、力がある」というように感じるのでしょうか。


では、どうしてこんな感情を感じるのでしょうか。1つの大きな要因は、お金に交換価値以外の意味づけをしているということです。つまり、自己価値の投影をお金にしているという趣旨になります。お金のあるなしと、自分の価値の有無がリンクしてしまっているのです。そうなると事態は非常にややこしくなって、複雑な感情を湧き起らせてしまいます。


しかし、どうでしょうか?そんなこと当たり前じゃないかと感じる人が大多数なのではないでしょうか。お金が足りなかったらみっともないと感じて当たり前だし、お金がたくさんあったら、言いふらさないけれど、こっそり優越感を感じるに決まっているじゃないかと。ここもポイントになるのかなと思います。あまりにこの投影が、集合意識的に浸透していて、多くの人に疑いの余地のない事実として認識されています。


この二重構造がお金に自己価値を投影することを当たり前にし、お金がないこと、貯金がないことが人の悩みの種になっていきます。自己価値の投影から自由になるのも、集合意識の枠組みからの逃れるのも簡単ではありません。しかし、ヒーリングを受けて、自己対峙を進めていく、こんなシンプルなことで解決の舵はとれるのだと、最近は昔ほど深刻に感じなくなりました。いったいいくら稼げば、どうやったら稼げるのか、終わりのないマラソンをしているようなスパイラルからは抜けられたのかもしれません。


この枠組みからでないことにはいくらお金があっても足りないという感覚になり翻弄され続けることになってしまいます。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵