満たしてもらう

依存と自立。私が気になるテーマです。自分が顕在化していないだけで、大抵の人がこのキーワードに関係しているはずなのですが、よっぽどのことがないと自分には無関係という認識の場合が多いように思います。  


私も、大人で家庭もあり、仕事もして経済的にも自立している、誰かの扶養家族になっていないとなると、当然のように自力でしているというスタンスでした。わかりやすい部分での自立はしている、そして、しかし家族なしでひとりぼっちになっても無敵だというほど精神的に完成はされていない、まあ、それはそんなに必須ではないでしょうという感じでした。 問題は、その中間にある領域での自立。


とても微妙で、巧妙に隠れているので発見が難しい。でも ここをクリアにしないとなかなか前に進めないと感じています。未認識の依存があると、誰かがスカートを踏んで前にいかせないような状況になるのです。進もうと思っても進めない。


 依存をどう扱うか考えていた時に、出てきた言葉が満足感、満たされる、というものでした。依存は、ある意味この満たされる、自分が満たされるという状況を誰かに代行してもらいたいという気持ちが原因になっているように思います。


 でも、本当に誰かに満たしてもらうことは実現するのでしょうか。可能なんでしょうか。たいてい、自分のことでも、そんなに正確に把握できているひとはいるのでしょうか? これが飲みたいとおもって、買って飲んでみたら、あああっちにしとくのが正解だったと、間違った選択をしてしまうこともあります。それくらい、ジャストフィットしたものを選ぶ、自分が満たされるものを選ぶのはかなり難しい。 そんな難しい、自分を満たすことは、ほかの誰かに可能なのか?と感じました。


誰かに満たしてもらうというのは、かなり高度な技術と環境がそろわないとかなわないと思います。 そうであれば、現実的には、満たされることを期待するより、自分で満たすことに注力したほうがぐっと満たされた感覚を受け取ることが現実的になり、幸福感はますのではないでしょうか。 


依存の立ち位置から脱出することは、この感覚も手放していくということなのかと思います。     


自分をみたすことができるのはやはり自分しかいないのではないでしょうか。ここを私もなかなか受け入れらず悩んでいました。しかし、もういい加減、手放すときにきたように思います。