抑圧を避け、肯定する

娘は中学生になりました。小学1年生くらいまでは、かなり私が管理、コントロールするようなやり方で娘と接していました。ヒーリングを受けていなかった私は、これがベストだと思っていました。しかし、2年生くらいから、そろそろ自分であれこれ考えてやってもらわねばと思い、管理の手を緩めました。しかし、私の管理癖がついてしまい、好きにさせようと思っても、「ママはどう思うの?」「ママはどうしたいの?」と私の意見を聞いて、顔色をうかがってくる場面も多くありました。特に私が強くこうしたいとおもっていた領域に関してはその傾向がつよかったのです。これに気づいたころはヒーリングを受けていたのです。


ああ、しまったと思い、それから、この癖の矯正が始まりました。娘の矯正でもあり、私の矯正でもありました。食べるもの飲むもの一つとっても何がいいかを本人に決めさせました。そのため少々よくない(体に悪いとか、虫歯になるとかetc)と心ではおもっていても、「いいよ」と許容し、本人が望むことをすきなようにさせていました。学校に行く行かないもその1つでした。

本人なりに感じ考えていきたくないという時は学校を休むことも許容しました。ママと一緒にいたいと言われたら、仕事を家でするとか休むとかして1日過ごしたこともありました。いったん萎縮した彼女の心を自由にするために、かなり好きかってにさせました。幸い、人に迷惑をかけることもなく、嫌われることもなく友達もいてそれなりに成長してきました。


しかし、今度はここにきて、「なんでも自分の気持ちを優先してよい」という意識が強くでてきました。うらやましいくらい、素直に気持ち優先なのです。嫌なことはやらない、好きなことだけやる。学校はいくけど、勉強はしたくないから、好きな教科だけ授業をきく。宿題は、ある事すら知らないというありさまです。 高校受験をしなければいけないので、親としてはちょっとどうかなと思い、本人とも話あいをしてきましたが、いっこうに代わる気配はなく、完全に失敗した感にさいなまれていました。


しかし、ある人の一言で、「ああそうか、確かに」という風にとらえ方が変わりました。まだまだ自分の子供のこととなると、固定観念に縛られているなと反省しました。子供のうちは本人の気持ちを優先し、肯定し抑圧することをなるべくしないほうが、自己肯定感を持った、自分の人生に対する主体性をもつ基礎ができると。

しかし、当然それでは社会性が育たず、自分の想いはなんでもかなうという自己中心的な人間になる。そのため、一定の年齢になると社会性をまなび、なんでも思いがかなうわけではないこと学ぶ時期がくる、それは少々本人が頭をうつくらいのことであるが、それが例えば高校受験くらいでの挫折経験であれば十分リカバリー可能だと。ベースの自己肯定感と人生に対する主体性があれば、そんな挫折は大人が過去の経験からおもっているだけの挫折でいくらでもその後人生を自分らしく生き、幸福感のある人生をえられると。


大人になって、自己肯定感を構築することはまだなんとかなっても、最近よく感じることは自分の人生を自分事として向き合うのは、大人になってからさあ意識しましょうとなってもなかなか大変なことです。できないわけではありませんが、子供に比べると大変だなと。

まだ中学生なので、もう少し自己肯定感を強固に構築し、自分の人生を自分のこととして生きる実感をみにつけてほしいと思います。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵