嫌いな人
誰かのこういうところが嫌いだ、好きではない。さすがに、精神状態が落ち着いた大人同士の関係であれば相手にそれを露骨にあらわにして態度にだしたり、口にすることはあまりないでしょう。相手が何か自分に対して嫌なことをする、心地よい状況をじゃまするなど、ある意味、害があるならさらに嫌いになるのも無理はないというところでしょうか。
しかし、場合によっては何もされていない、特にかかわりもないのに、嫌いだと感じる人、嫌いだと思わなくても気が合わなさそうだとか、敢えて話そうとは思わないという人もいないでしょうか。
そういう場合は、これは残念な真実ではありますが、それは自分の鏡なのです。
自分の中に、相手に感じるネガティブな要素が実は自分の中にあるのです。いやあ、絶対そんなことはない、あんな人と私がにているはずがないと、腹立たしく思われている方もいるのではないでしょうか。私はこんなことを言われたら、かなり怒り心頭で何をいっているのだと、ものすごく反論していたころがあったように思います。
しかし、今となっては、自分も含めて、これは覆しようのない事実なんだなとあきらめのような気持にもなっています。そうなると相手にも申し訳ない気持ちすら湧いてくるわけです、面白いもので。
数日前、数回すれ違った程度の人、でも共通の知人がいるという男性とレストランでばったり会いました。とくに話したこともないので、遠目にいることを認識しつつ挨拶するわけでもなく何の接点もないまま時間が過ぎました。その時のことを共通の知人と会ったときに話題にしたのです。
その男性にあったこと、何もされたことも言われたこともないけど、存在を知ったときから理解できず好感をもてないと。すかさず、似た要素を何かもっているからだよ、と言われたわけです。知人はにやにや笑っていました。わかっているけど、がーんとショックを感じました。それくらい、好きではないのです、何をされたわけでもないのに。自分のことを心ない人間だと残念に思うのですが、どうしようもなかったのです。
半分笑い話にできるような心境、そう、そこまで嫌うこともないかという実感がでてきたのでここにこうやって書いているのですが、目を背けたい気持ちと必死で戦って、その人に対して感じている要素を洗い出してみました。どれもこれも書くには躊躇するような内容で、残念感が満載でした。
しかし、それだけ自分が自分にダメ出ししているポイントを理解できたとも言えます。
そんなに、自分でダメ出しするようなことなのだろうか?
その程度のことであれば、許容範囲ではないのか?
相手にというより、自分に対して許容が広がり、少し固定観念が緩んだように思います。嫌いな人や苦手な人というのは、心理的に負担のある存在ではあるのですが、自己成長を進める上では使い勝手のいい勉強のツールかもしれないと、見る目が変わりました。
面白がりつつ嫌いな人をピックアップして同じようにやってみようと思います。
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