人生の課題

生きる目的、生まれてきた目的、人生の課題、多少の表現の違いはあれど方向性としては同じようなものでしょうか。世界平和、飢餓をなくす そんな大きなことである必要はないし、そんなこと無理だよとおもっている私。自分のことで手一杯な感じです。


個別の人にとっては、もっと小さくて、ほかの人から見たら「それが人生の課題?」なんていうくらい小さなものであることも多いのです。しかし、本人にとってみると一大事でそれだけは勘弁してほしいと思う事であるのも事実です。場合によっては、ある人から見たら究極の楽しみに感じるものがある人にとっては、苦難の際たるものと感じるということです。


そんなことくらい逃げずにやってみたらいいのにと、軽く言われたり、あれこれ理論的に大丈夫であると説明をうけても駄目なものは駄目でどうにも一歩が進まないことがあります。理屈ではないというか、心がフリーズするというか、身動きできない感情に支配されて正常な判断ができなくなるのです。


子供のころの夏休みは私にとっては、とても暗い時代であったことを思い出しました。夏休みは嫌いでした。夏休みが終わって、宿題を発表したり、展示してみんなに見てもらうことを想像するだけで、ぞっとして生きた心地がしなかったのです。工作とか作文に苦手意識がとても強くて、作成しよう、書こうとおもっても、「発表する」場面を想像していっこうに作業がすすまなかったのです。見られるならやりたくない、読まれるなら書きたくない。けなされるのは当然嫌だけど、褒められるのはもっと嫌。


ある年は史上最悪な夏休みでした。その時の感覚を再現してみたら、体調がわるくなりそうなくらい滅入っていた夏。夏休みが始まるころ、先生に呼び出されました。のんきに職員室に顔をだしたら、夏休み終了後の秋にある市町村合同の作文の発表会で発表してねといわれたのです。まだ、作文も書いていないのに。


どうも、準備期間の都合で、毎年そういうなかば出来レースがあったようです。表向きは内容のよいものを選んでとなっているのですが、当初から「良くなるように書く」段取りがくまれていました。夏休み中に、どこどこにってなになにをみて、その感想を書いて下さいと。よく覚えていないのですが、なんだか断れる雰囲気はなかったのです。今の私なら全力で断りますが、どうも大人、数名の圧に屈したのです。


それから苦痛の夏休みが始まりました。その日を想像するだけで、目もあけていられないくらい嫌で朝起きると、どんよりとする。会計士になって毎朝おきるときに感じていたあのどんよりと同じであることを思い出しました。発表会の当日の雰囲気やみえたものをまだ覚えています。1歩1歩あるいて体育館に近づくあの不吉な感覚や読んでいる最中の幽体離脱しそうな嫌悪感。


何をそこまで?と思われるかもしません。でも理由はわかりませんがそのくらい嫌で、今思い出しても嫌なんです。これは小さな私の人生の課題です。人前でしゃべることが苦手なのです。自分の思ったこと感じたことを、声に出して表現することがだめ。このブログも表現なんですが、声がないからいいのかなと思います。でも、油断すると逃げようかと魔が差しそうになります。


不安や嫌なことから逃げても無駄だと、かなり強く思っている私も、これは駄目。逃げています。しかし、やっぱり追いかけてきました、そして、とうとう追いつかれそうな雰囲気で戦々恐々としています。腹をくくって向き合うしかない。これが先週の無気力の原因か?と観察しているところですが、大きな課題、私にとってはすっきりした秋晴れにはならないのです。



睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵