エクステ、ネイルetc

今でも、人並みに着るものや外見には最低見苦しくないようにと心がけています。もっと気にした方がいいという声がきこえてきそうですが。一応、私としてはできる限り気を付けているのです。

しかし、数年前まで、今よりもっと外見に意識が行っていました。ばっちりメイクに、いつも完璧ないでたちをしていたわけではありません。お化粧はナチュラルメイクでしたが、エクステをし、ネイルはサロンで定期的にメンテナンス、美容室も月1回は必ず行っていました。

これもストレス解消の一環であったのですが、若干コスプレのように今は感じていて、ちょっと違う自分を創り出して現実逃避していたように思います。私なりのポリシーはあり、巷にあふれる雑誌からでてきたような面白味のないネイルはしていないし、私の職業で、このいでたちというのもあまり普通はなくて、ていていの初対面の人には「へえ、意外なお仕事です」といわれるのを面白がっていたりもしました。会計士や税理士の枠に入れられるのが嫌であったのもありますが、実際会計士や税理士なんだから、嫌がることも妙な話なのです。

しかし、ヒーリングを受けて幸福感探しをしている途中に、はたと気づいたのです。買い物とおなじだと。確かに、サロンにいって爪が可愛く仕上がり、まつげもクルンとふさふさになるとなんだかちょっと幸せな高揚感はあるのです。しかし、それは、時間がたち、まつげが1本、また1本と落ちて、ネイルも日に日に剥げてくると、今度はイライラや残念な対象になってくるわけです。左右でまつげの量が違うのはちょっといただけません。


さらに、仕上がったときの高揚感とは別に、疲れるのです。いくら人にやってもらうといっても、2時間は同じ椅子に座っていなければいけません。ゆったり座れる椅子でも、疲れてくるのです。さらにその疲れをとるために、ボディートリートメントなんてやろうものなら、更に疲れ倍増です。


別の視点では、自分を大切にしているとも解釈できたのです。ネイルをしてエクステをすることは自分を満たしているのだと。雑に扱っているわけではないのですが、顕在意識が満足するだけで、潜在意識は満足しないということなのです。


この悪循環を認識するに至り、私は、エクスととネイルをやめました。確かにかわいく、きれいな爪をみると「わあ。かわいい、きれい」と思います。しかし、それは私が期待していた幸福感ではなく、逆に本来期待している幸福感から逆行するような高揚感だったのです。


振り返ると、私のプロセスとしてあの時間、以前にも書いた買い物をたくさんしていた日々や、ネイルやエクスとを欠かさなかった日々は飛ばすことも難しかったように思います。人は、やってみて実感をともなった感覚がないと、なかなかその本質を受けとり理解することは難しいのです。


やってみたからこそわかるわけです。ただ、短めでよかったなと思っています。買い物した日々の時間の長さと浪費した金額を比較すると、、、、。取返しのつかないことには適用できないですが、ちょっと時間とお金の無駄ですむことであれば、何でも体験してみて、自分の気持ちを確認するというのは確実に自己対峙をし、プロセスを進めるうえで、本当の幸福感にたどり着くための早道のように思います。今は、買い物したり食べ物を選ぶときにどの意識が望んでいることなのかに注意をして無駄のないようにと思っています。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵