体が欲するものを食べるのが正解

数日前、近所のランチをよく食べるお店に娘と二人で行きました。アラカルトで好きなものをチョイスできるので、野菜多め、たんぱく質多め、その日の体調や数日のバランスを取りたいと思ったときによく行くのです。


娘とシェアすることを前提に、サラダを1品、チキンをハーフサイズ、卵とハムのサンドイッチ、ポタージュ。お会計のさいに、お店の人から、バランスのいい、お手本のようなセレクトですねと半分冗談で声をかけられました。 あれこれ、厳格にいうと、野菜が少なめだし、チキンも揚げてあるのでトランス脂肪酸も気になるし、スープも乳製品が多めだしと、減点要因はいくらでもあります。


ただ、お店の人の意図としても、もう一人いた別の店員さん自身のランチのチョイスがバランスが悪く、それと比較したら素晴らしいということだったのです。もう一人の店員さんは、さらに数日前のランチに、甘いペストリー3個をランチにしていたそうです。チョコレートたっぷりのペストりなどなど。私は、「疲れているとそういうチョイスになることもあるよね」とフォローのつもりで笑いながらコメントをしました。


ご本人は、「そうなんですよ。忙しくて、疲れていたから、甘いものを体が欲してたんですよ。だから、体が欲していたから、正解なんですよ」と最初の店員さんに若干反論気味にはなしていました。そうだよね、相槌をうってその場を離れました。


確かに、甘いものを食べたいとその人の内なる声がしたのは間違いないでしょう。しかし、それは本当に体の声だったのでしょうか。「食べたいと思うもの、感じたものをたべるのが体にいいんだよ」という話をよくききます。これは事実正しいことだと思います。


しかし、たいていの人は、食べたいと思うものを自分のどの部分が脳に刺激としておくってきているのかを理解していないことが多いのです。自分の気持ちがざわざわしてそれを落ち着かせるために甘いものを食べたり、お酒を飲んだり、ボリューム満点のお肉をたべたくなることと、物理的に肉体が糖質を欲して、アルコールを欲して、たんぱく質を欲しているかの区別がつかないことのほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。


だから、間違っているから食べてはいけないというのではないのです。どこからの声なのかをわかるようになって、理解したうえで食べること言う事がとても大切です。ストレスでどうしようもないときは今の社会にいきていれば当然あります。だから、いっときそれを食べたり飲んだり、だれかとおしゃべりしたり、することで回避することが必要なときもあります。


でも、ずっとそれをしているといつしか心の声をきけなくなり、自己一致した状態から離れてしまうのです。そうなると、自分を再度本当に満たそうとおもっても、満たし方がわからないよと、自分のことなのに扱い方がわからないということになってしまいます。


ヒーリングやリーディングによって、この自己一致からずれてしまった状況を改善できれば、本質的な幸福感が得られると思います。ずいぶん私もずれが矯正されてきました。幸い食べてもあまり太る体質ではなかったので、大事になりませんでしたが、かなりの量の食欲でした。毎日、スタバのフラペチーノを1回は買って、夜はお酒ものむし、デザート付きで寝る直前までたべていました。炭水化物も大好きで、パンやごはんをしょっちゅう食べていたものです。


でも、ときどき怒涛のようにやってくるストレスにげんなりし、「歌舞伎あげ」を食べてビールを飲む夜もまだあります。先日もありました。ただ、今は、ああ、気持ちがめげて逃避モードで歌舞伎あげに意識が向いていると、食べる前にきづくことはできます。まあでもとりあえず片づけないといけない事が山積みなら、ビール片手に一息つくことにします。 こんな風に、3歩進んで2歩後退くらいの感じで、自己一致感をあげていければいいなと思っています。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵