予測可能な世界

誰しも想定していなかったことが起きると驚き、不安になり、感情が大きくゆれるのではないでしょうか。私は特にその傾向が強くて、自分の把握できない状況に不安定な感じを受けます。そのためそれを避けるために、いろいろ調べて状況を推測し、なるべく状況を把握しようとします。それは人に対してもそうで、その人に質問したり、管理することで、把握できないような事態にならないようにするのです。わかりやすくすると家族や部下などがそんな感じでしょうか。


家族で旅行に行ったり、子供を一人で飛行機にのせたりするときは、かなりあれこれ調べて安全で無事に目的が達せられるように計画をたてます。見知らぬ、英語も通じない国に行くこともあります。しかし、これは私にとっては調べて納得すれば把握できる状況となるのであまり不安は感じず実行することができるのです。


しかし、それ以外にも限界が当然あるので、把握しきれないことはありますので、そのギャップを埋めるように今度は自分の世界を小さく設定するのです。把握できる範囲とコントロール不能な範囲をできるだけ一致させるようなことを無意識にしているようです。旅行の例でいうと、興味があるけど、「興味がない」ということにして行かない選択をするのです。


平均より、未知のものへの好奇心は高いし、自らの世界を狭めているような意識もなかったのですが、でもやはりあるのだなと思うことがありました。自分の内面の状況を変化させていくと当然それは外部の世界との関係の変化へとつながっていきます。そしてその外部の変化した世界が予測できないものであればあるほど人は不安や恐怖を感じます。顕在意識では変化していきたいと思っているけど、見たことも聞いたこともないような、それは自分にとっての世界がその先にあると思うとどうしてもその一歩を躊躇させるブレーキがかかります。


そのブレーキを上手に外すことができれば、変化を止めているのが自分であるということに気づければいいのですが、これもまた難しい。だからこそ、変化したいと思ってもできないと感じる人が多いのではないでしょうか。人は肉体も精神もホメオスタシスが働くので、現状への執着がありますし、変化しようとしたときほどその機能は強く働きます。


しかし、ここ最近はそんな恒常性維持機能が働きにくくなっているようです。そういう世の中の流れ何でしょうか。私自身も、どこかにしがみついて現状維持しようとしても大きな風でひきはがされるような感じを受けます。変化や内的きづきをなんとなく知りつつ、まあ今はねとおいていたようなことがあればあるほど、突きつけられることが出てきています。


それでも知らん顔を決め込むことも選択としてはありでしょう。まあ、でもせっかくそこまで変わったらとどうですか、と肩をたたかれているのなら、恐れている予測不能の世界をみてみようかなと思いました。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵