めんどくさい

日本語が堪能なラテン系言語の外国人と話すとたいていの人が言う話なのですが、めんどくさいという言葉は、日本語以外で存在しないと。なんともこのたくさんのニュアンスを含んだ微妙な表現というか心情を表す単語はない、だからめんどくさいという言葉はとても便利だと。なので、よく彼らは、英語などで話ながら、途中で「Mendokusai」という音を発するのでとても私的には面白いなと思っています。


ある人が、何か言うとしょっちゅう「めんどくさい」という言葉を発し、それで完結させようとしていたことがありました。何を質問しても、「めんどくさいから」、という一言ですべてを包含させようとしていたのです。当時は、へぇこの人おもしろいなとおもっていたのですが、とうとうそれは自分の番になってきたようです。


当時他人事だとおもっていたのですが、自分の複雑な胸の内や、感情、心の波を直視することに抵抗があったり、理解しきらないと私もめんどくさいという言葉を使っているのです。それは会話でもそうですが、自分の心の声としてもよくあります。


例えば、パートナーシップがうまくいってないときに、友人からパートナーとのことを聞かれたとします、そしてめんどくさいと感じる。またはめんどくさそうだから、事前に会うことを辞めるなんていうことがあるでしょう。この時のめんどくさいは、相手に状況がよくないことを知られるのが嫌、説明が煩雑だ、説明する際に悪化した関係を思い出したり関わる感情を再度感じるのが嫌だといったように、分析してみると複雑な感情があります。


自分が突き詰めて見つめないといけないものがあるときに、めんどくさいと片づけてしまっているのでそれをやめなければいけないなと感じています。しかし、手間がかかるし、まさにめんどくさいのです。今のめんどくさいは、考えてみるに、時間がかかる、忙しいからできないじゃないか、微細に感じている残念な気持ち、不安、怒り、まさに瞬間的に感じている微細は変化をキャッチしてつぶしていくような作業と意識の集中が嫌なのです。当然、不安や怒りを感じている原因にも意識がむくでしょうから、それを直視するのも嫌なのです。何か自分の自己否定スイッチに関係している要素があるからでしょう。


ああ、めんどくさいを1日どれくらい心で唱えているかまずは数えるところから始めて行こうかと思います。ああ、まさにこれがめんどくさい。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵