感情や欲求の投影と錯綜

人が感じるものには、感情や欲求、人それぞれたくさんのことを感じています。そしてその原因やきっかけ、対象ととなるものも無限にあるので星の数ほどの心の動きがありそれがぶつかって屈折してさらにまたぶつかってとなるわけです。そうなると、最初の原初的な感情や欲求はなんであったかわからなくなることも多そうです。


辿りたくても辿れないなというのが実際のところです。さらに、人はそのきっかけになった原因をなかったことにしたいと思う癖があるように思います。本当は、こうしたい、こうであってほしいというものが最初にあったはずなのに、それが叶わないとなったときに、別の方向にずらしてその代替になりそうなものを得ようとする。そして、さらにそれもだめなら、またその代替を探そうとする。これを無意識に繰り返していると、ほんとうに自分が望んでいることとはどんどん離れてしまい、最後には自分が何を望んでいたのか、わからくなるのです。


たとえ話として、ある女性が仕事を始めて会社で能力を発揮していこうと思ったとしましょう。でもなかなかうまく能力発揮して活躍したいのに、それが現実にならない。それは環境がそうさせないこともあるでしょう。それが続き、会社への失望がつのってきました。そのころ、結婚もしたいなと思ったとして、ちょうど結婚相手がみつかったので結婚します。会社を辞める必要はないけれど、結婚を機に退職する。家庭と自分のために生きて行こうとする。しばらくすると、ご主人にもなんらかの不満がつのってくる。そんなある日、気の合う男性と知り合い、その人を好きになる。


長期間でかつ人生の核になることなので、ちょっと例が大きすぎますが、雑にいうと、本当に結婚したかったのか?本当に気のあう会う男性を好きになったのか?ということです。本当に自分が失望したり感じている事をきちんと向き合わないで何か別の問題にすり替えることが人は多いのです。日常あるあるでいうと、ストレスがたまったら、お菓子がたべたくなるとか飲みたくなる、これもまさに投影と代替でのすりかえです。お菓子をたべてもいいし、飲んでもいいんだけれでも、自分がストレス発散のために、食べている飲んでいる、結婚した、恋をした、この認識がもてないことが人は多く、都度の自分の選択を無意識に肯定してしまうのかなと思います。


選択を否定する必要はないけれど、その選択は何等かの投影や幻想の世界への逃避であることをわかったうえでその選択をしておきたいものです。これを意識しておかないと、何を望んで、何がえられていないから満足できていないのかがわからないのです。投影したものが得られていないだけなのに、その投影をいつまでも追い続けるような徒労のないようにしたいなと思います。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵