ワイン

食べ物はある程度こだわりがあったのですが、食事と一緒に飲むものにはあまりこだわりがありませんでした。食事ありきで、お酒とともに味わうハーモニー的な相乗効果というものは「へえそうなんだ」くらいの感じで、よくわからないけど美味しいのでそれでよいという感じでした。


そのため、とりあえずビールというのがお決まりで、2杯目から何を飲むかをちょっと真剣に考えるような流れで食事を楽しんでいました。しかし、ここ数年ワイン好きの人と食事をする機会が増え、極上の保存状態で、極上のビンテージのワインを飲む機会が増えました。


当初は、美味しいのはわかるけどそこまでお金をかけてワインにこだわらなくても、昔に比べれば安くていいワインが日本にもたくさんあるし、それでも十分ではないかと思ったりしていました。さらに美味しいけれど、自分の中で記憶にとどまらないというか、再現性がなく、他の場面でワインを飲んだ時に比較しきらない感じで、他の場面のワインも悪くないような気もしていたのです。


そうなると、なかなか極上のワインの良さを受けとれきれていない感じがあって、微妙な感じを感じながら、その時は「美味しい」と感動しつつも数日たつと、本当に先日のワインは心から美味しいと感じ、理解し、受け取れていたのか?と疑問がわいていました。その場の雰囲気や、チョイスしてくれた人がよいから「美味しいような気がしている」のではないかと思っていました。自分の味覚や感覚に自信というか確信がもてませんでした。


さらに、ワインに関する知識がまったく溜まっていかなかったのです。興味がないわけではないけれど、ブドウの名前も産地、生産者もろもろのことが記憶にとどまらないし、知ろうとも思わいので、自分で選択すると、かなり打率が下がるわけです。そうなるとまた、そんなにいいワインにこだわってもなぁとなんだかネガティブな方向に意識がむいていました。


しかし、ここ数週間、ちょっとした変化がでてきました。知識は勿論急には増えませんが、何か所かでワインを試飲する機会があり、味覚と自分の顕在意識がつながった感じがあったのです。勧められて飲んでも、腑に落ちなかったり、買ったときは良さそうに思うものの、実際ボトルをあけて飲んでみると買ったときのイメージと異なる、つまりあんまり自分の好きなタイプでないものであったりということが続いていました。


しかし、自分の味覚、ワインの味が顕在意識とつながるというか、自分のワインの味覚データベースとつながったというのでしょうか。ある一定の味覚データベースができてきたのかもしれません。「美味しいと思った味」に一致する、近しいものをマッチングできるようになってきたのです。勿論、これは違うなと思うこともはっきり認識できるようになりました。


子供が言葉を話し始める際に、一定のボキャブラリーが子供に蓄積され、それがある一定レベルになるとコップの水があふれだすように、言葉がでてくるものだと、娘が小さいころに読み聞かせの先生に言われました。だからたくさんことばをかけて、たくさん本を一緒によんであげてくださいと。


まさに同じような理屈なんでしょう。やっと私の中にもワインの経験値が貯まってきて、活かせるレベルに近づいてきたようです。そうなると、がぜん、ワインに対する興味やよいものを探究したいと思う気持ちが出てきました。


ワインだけは、ある種賭け事のような印象がありました。わけのわからな理由で高い値段がついているような感じがしていました。そのため、髙いお金をかけてまで絶対に追及しないものという自分の思い込みがありましたが、どうやらここも変化してきたようです。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵