物を買うことと体験を買うこと

大学に入りアルバイトをして少し自由になるお金ができたときに、積極的に旅行に行くことはあまりしませんでした。友達の中には、とにかくお金をためて、日本各地や世界中を旅しているひともたくさんいました。バックパッカー的に旅行することが珍しいことではなくなり、航空券も手配しやすくなったころでもありました。


しかし、私はどうも旅行にお金をかけることが当時できませんでした。旅行にでて見知らぬ土地に行って、新しい体験をしたり、今まで感じたことのない感覚を感じること、そのあるいみ瞬間の体験にお金をだせなかったのです。


それよりも、形として手元に残るもの、長く使える物を買うことにお金を使っていました。洋服は流行がはっきりするのであまりお金をかけてはいませんでしたが、靴や鞄、特に鞄にはかなりのお金をかけていました。これも流行に左右されない長く使える物で、奇抜なものではもちろんありません。あまりに身の丈にあってない金額であったりすると、それこそ使えずに大事にしまって時折取り出しては眺めるような、美術品のような感覚でした。


当時強くおもっていたのは、旅行はその一瞬でおわってしまって、何も残らないということでした。今、思うと手に触れる事ができて、目で確認できないとその価値を受け取れなかったのであろうと思います。家庭環境もあるでしょう、旅行にまったく連れて行ったもらわなかったわけではないですが、傾向としては食事や旅行より、衣服や住居にお金をかけていたように思います。


物にこだわっていたのは、そこに自己価値を投影していたこともあるように思います。これをもっていれば何だか安心するような感覚です。しかし、これは勿論幻想で、本人の価値ともっている鞄の値段や価値は関係ないのです。いいものは、勿論それそのものにエネルギーがあり、丁寧に作る過程のなかでそれ自体に価値が詰め込まれていくというか創造されていきます。だから、いいものを手にすること自体は、望ましいことではあるのですが、その動機に自己価値の投影がないというのが前提です。


つまり、町でみかける、持っている人と持っているものがバランスしないような場合、ものに人がぶら下がっているような状況では、いいものはその本来の価値を発揮をできないでしょう。


あるとき、私の中に自己価値と持っている物がリンクしてしまっていることに気づきました。本質的な幸福感をえるためには、このリンクはいったん切り離さないといけないとおもいつつもなかなか切り離せないでいたのです。しかし、方向をさだめると、望むと望まざるとにかかわらず切り離すような事象が起きてきました。ほんの些細いなきっかけでしたが、手元にあった9割がたの鞄を処分したのです。最低この2つだけあればいいかと思うものを残してそれ以外は手放しました。


それからすぐには切替はできませんでしたが、じょじょに物をもつことより、自分の五感を満たす体験や時間にお金を使うようにシフトし始めました。まだ移行しきっていないように思う部分もありますが、ずいぶん変化したように思っています。この変化のおかげで、毎日の生活そのものが充足感のあるものになってきました。


五感を満たすことを意識することで、変なストレスも溜まりにくくなり、ゆったりした時間が増えたように思います。また、物が減ったので、物を片付けたりメンテナンスしたりする時間もへって時間そのものにも余裕がでてきたのです。


この移行は、物に対する執着を手放す背中を押してくれたヒーリングの効果は大きかったのです。最初の手放すきっかけがヒーリングにありました。物に振り回されなくなったこと、つまりは自分の軸が維持できるようになったのです。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵