グレイヘア

紙の新聞を読まない、テレビをみない私は、ときおりインターネットでニュースを読んでいます。数日前、ある女性が髪をグレイにし、着物姿で写真に写っている画像がめにつきました。記事の内容は、女性の髪の色についての記事で、最近、白髪を隠すために髪を染めない人が増えている、その選択を肯定的にとらえ、ある種女性の選択の自由を広げようというような内容でした。最近は、白髪や黒髪との中間のグレイヘアの特集や書籍もたくさんでているようで驚きました。


私はほとんど白髪がありません。遺伝的にどうもそういう性質のようなのですが、さすがにここ1,2年でちらほらでてきました。視力1.5弱の私がじっと探さないとみつからない程度の量なのですが、ないものが現れると気になるものです。黒い髪、若さ、そんな執着が自分にもあるのだなとおもっていたのです。しかし、出てきたからと言って髪を染める気もないし、急に増えたらどうしたものかとたまに意識にのぼってきていたのです。


そういう意識もあってこの記事が目についたのでしょう。しょうがないけどちょっと抵抗があるなとおもっていたグレイヘアですが、記事を読んだり他の書籍の紹介文などをよんでみると、まあそんなに抵抗するものでもないなとおもったわけです。ここでも許容がひろがってきたように思いました。たいしたことのないエッセンスですが、こういった日常の好みやパターンに固定観念は潜んでいるものなので、ここが1つ緩んだのは私的にはしめしめという感じです。


より自然に自分の老化とこうあるべきをバランスさせることができつつあるのかもしれません。体力は落ち、筋力もさがり、あきらかに肌はたるんできているわけで、現実としてうけいれないといけないわけですが、難しい面もあります。そこをあきらめるわけではなく、受け入れて楽しむことができれば、これまた幸福感があがるわけです。いつまでも20代のころの洋服は似合わないわけで、同じような肌状態や髪の状態ではないのです。


あと、この実感をおしあげたもう一つの要素がありました。実はその特集の中に、知人の女性が一人偶然、掲載されていたのです。数年前からがらりとグレイヘアにしていて、当時は勇気あるなと若干興味本位な尊敬のまなざしでした。勿論、とてもよく似合っていて自分にはできないけれどかっこいいなと思っていました。


記事のなかで彼女が「私は私であり、誰の所有物でもないので私の好き、心地の良さを選ぶ。誰に媚びる事もしない。誰かに気に入られるように振る舞うことはしない」というようなことをおっしゃっていました。そういう思いがベースにあっての選択だったんだなということを知ったのです。


やはり、そのような自分の立ち位置があっての選択の結果であるためとても素敵でかっこいいのだなと思いました。数年前の私であれば絶対にできないとおもったでしょうが、多少自分の立位置や生き方が、ヒーリングによって定まってきた今となっては、追随できそうなきがしています。まだ10年はあると思いますが、グレイヘアになる日も楽しみになってきました。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵