メモリ容量の稼働率

子供の頃、勉強しようと思って机にむかっても全然関係ないことに意識がむいてしまい集中できないことがありました。別に楽しいことを考えているわけではなく、その日にあった学校での一コマであったり、母から何か言われた一言であったりがふっと意識にのぼっては消えるのです。同じことが頭からはなれないくらい、つらい事や悲しいことではないけれど何だか気になること。今思うと、もっときになっていたのでしょうが、気にしないようにと力をかけて自分が傷つかないようにしていたのでしょう。


当時は、勉強に集中できない、注意散漫な自分をだめだと思っていました。もっと集中できたら、早く終わって他のことができるのに、だらだらと集中仕切らない私がだめで、そんな些細なことをいつまでも気にしている、気の小さい私は弱くで駄目だとおもっていました。だから、気にしないように、勉強に集中するようにと、悲しみから目を逸らすほうに一生懸命意識を働かせていました。


大人になって働きだしてからも、仕事は結構時間のかかるほうで、当初1時間でできるとおもっていたものが、結局半日以上かかったりすることは日常茶飯事でした。勿論経験もたりなかったのですが、何か書類を1つ作るにしても、あるべき主題にフォーカスしきって内容をまとめられなかったのです。本来であれば、私のような仕事であれば特に、自分の感情や誰かがどう感じるかというのはあまり書類の作成には関係はありません。


でも、こんな風にかいたらあの人はどう感じるのか、このことを書くとこの人が困るかもしれない、その視点でかくと私がどう思われるんだろうといったようにいつも誰かの気持や反応が気になって、主題にフォーカスしきれなかったのです。そのため、最初はこちらを気にして書類をつくってみたけれど、できたらあちらも気持ちもきになり、さらに今度はこっちが、というように本来の主題と直接関係のない私の感情が仕事の作業に大きな影響を与えていました。勿論、作業中にそんなことは思っていたわけではありません。無意識でそういうことに苦慮していたのです。今おもうと、私のハードディスクのメモリをバックグラウンドでこんな微妙な感情が渦巻きたくさん使用率をあげていたのです。結果、表側の作業でつかうメモリは少なくなり、結果、時間がかかるという構図があったのです。


最近、ずいぶん仕事が早くなりました。40代になってキャリアもそこそこでてくれば当然と言えば当然ですが、先にかいたような何かしらが裏側で回っている感覚が随分減ったからでしょう。パソコンを使っている時に、ウィルスソフトが裏で動き始めたらとたんにパソコンの動きが遅くなるような状況が減ってきました。


まさに、今ここにある、目の前の作業に簡単に集中できるようになってきたのです。前のように、力をかけて集中しなくてもいいという感じ。バックグラウンドメモリで使用される量がへり、さらにそれを減少させようとする負荷をかける必要がへり、結果、メモリの未使用分が増えて、目の前の仕事に意識を集中させやすくなったのです。


それ以外にも、ささいなひっかかりが減りました。ちょっとしたパソコンのミスタッチに自分でイライラすることが多々ありました。でも、自分がイライラや不安の波動をださないことによって、パソコンの不具合も各段に減ってきた感じがします。それほど意図しなくてもスムーズにことが運ぶことが増えてきました。


そんなうまい具合に、現実の仕事やタスクが、自己成長や自分の感情の安定をはかることによって変わるはずがないと、どこかで思っていました。そんな事で仕事が早く仕上がったrあ苦労しないよと。いい意味でこの期待は裏切られたわけです。年齢もあがり体力的にも長時間労働は難しくなってきたので、ありがたいことだといえます。まだ、改善可能な領域がありそうなので、領域拡大を目指して、労働時間を減らしていけたらいいなと思います。幸福感が増しそうな感じです。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵