家族の自立

お母さんが家のことをあれこれしてくれるのが当たり前という家庭が多いのではないでしょか。特にお母さんが頼りになればなるほど、管理運営を上手にこなしそれで家の中や外との関わりがうまくいっている家族は、より一層その傾向が強いように思います。そして、その他の家族は何もしなくてラッキーという感じで負担が一極集中してしまいます。ラッキーと思っていればまだましですが、それすら気づいていないこともままあります。


お母さんもだんだん、いい加減にしてほしい!と、子供が成長してきたり、自分の体力もおちてきたりすると、そう思う事もでてきます。自分のことは自分でやってよと言う日がやってくるでしょう。そうなった時に、お母さんが自分のことは自分でやってよ、と言ってもなかなか自分でやろうとしない家族がいるのもよくあることてしょう。そうなると、お母さんのストレスはマックスになり、自分はやりたくないのに、本人がしないから、家が片付かない、洗濯が回らない、学校にもっていく体操服が、制服のブラウスがない、と大騒ぎになって余計につかれることになります。


そしてこんなに疲れるなら、自分がやろうとまたお母さんが担当者になってしまうのです。こういう場合、まずは勿論ですがやろうとしない家族に問題があるわけです。負担を一人に押し付け、その人の依存しているのです、家族の共同生活というコンセプトが成り立っていないわけです。そこは当然、憂慮すべきで、改善してもらわなければなりません。はなしあいの結果、納得して変わる場合もあるでしょうが、割合は低いでしょう。


では諦めるしかないのでしょうか。そんなこともないのではないかと思っています。ポイントは、お母さんにあるのです。表面的には勿論疲れていて、家族に負担をになって欲しいと思っているのはうそではありません。でも、心のどこかで、そうやって頼ってくれる家族に依存しているお母さん自身がいるのです。家族から必要とされるその状況に自己価値を見出し、それを手放しきれずにいるお母さんが少なからずいるはずです。


そんなわけないでしょう。と、私もおもっていたのです。少し前までは、お風呂の浴槽を洗う以外の家事は私がすべて行っていて、かつ旅行の契約、パッキング、お金の段取り、ありとあらゆることが私の守備範囲でした。ほかには家族の健康状態を常にチェックしていて、風邪をひきそうな予兆がでるとすかさず先手をうってひどくならなないよう、熱をださないよう、日常に支障がないようにと目を光らせていたのです。今考えるとぞっとするほど忙しく、せわしない日々でした。


疲労もでてきたし、娘も大きくなったので割り振ろうとし始めると、抵抗され、なかなか移行ができない期間がありました。根競べか?と思い、ただただやらない事に徹して見て見ぬふり作戦を結構していましたが、あまり効果はありませんでした。そんなときに、相手が自立していないのではなく、私が自立していないという事実を認めるしかなくなったのです。消去法で消していくとそれだけが残ったのです。


何かあったら「ママ、どうしよう」「ねぇねぇ、君はどう思う?」と言われることで自分が今ここにいる意味、自己価値があるとその言葉に依存しているところがあったのです。あれこれサービスしないと、自分がいる価値がないような感覚が、心の奥底、非常にわかりにくいところにあったのです。


わかったら手放すしかありません。試行錯誤を繰り返して、少しづつその執着を手放していくと、ほんとうに手のひらをかえしたように娘は「ママ、ママ、ママ~」と私を呼ぶ回数はへり、起こさなくても勝手に学校にいくようになり、主人も一人で起きて勝手に出勤してくようになっていました。家事も随分言わなくても手伝ってくれるようになって、些細なことが楽になってきたのです。


相手が自分に頼りっきりだと思ているのは、人のせいにしていて、実は原因は自分にあるといういい例だなと思いました。こんな重くてめんどくさい結果の自己肯定感は不要です、というか偽物の自己肯定感なので早めに手放してより自由に本来の自己肯定感がみにつくといいのです。



























睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵