一瞬、意識に昇ること

最近、このブログを毎日更新しています。どこまで続くかなと思いながら、まあ書こうと思う事があれば書き続けようと9月頃から意識しています。たった、2カ月ですが、毎日何かしら書くことがあって継続できています。あと、読んでくださっている方からの感想やコメントもとても励みになっています。ありがとうざいます。


このブログは数年前から開設だけしていて、ほとんど放置状態でした。何か自分の気づきや読んでくださる方とシェアできて、こちらも刺激になればありがたいなと思って書こうと思っていました。でも、なかなか毎日書く事が見つけられなくて、記事を書くのに随分時間がかかっていました。そのため、結局、仕事の忙しさに負けたり、書く事がまとまり切らなかったり、そもそもテーマがみつからなくてかけないという事になっていました。


この2カ月、なぜ今回は珍しく書けるのかとふと思ったのです。もともと日記やお小遣い帳が書けない私です。


これも一瞬、そのなぞが頭をよぎりました。でも、数日は忘れていました。色々、自己対峙が進み、心が軽くなったので、作業の効率はずいぶん上がっています。でも、そもそも書くことを思いつくのは効率の問題ではないでしょう。作業効率は、記事をかくのにかかる時間の長短には影響していますが、そもそも書き始める前の段階には関係のないことです。


また、さきほどの疑問が頭をよぎりました。今回は。しっかりその流れを掴んで意識を合わせてみました。


その結果、意識のプロットが細かくなって、無意識時間が減っているかと思いました。その分、今やるべきことがはっきりし、目の前のことに集中する度合いがあがっています。作業に集中することもそうですが、自分の心の中に起こっている変化、心の中を走馬燈のように通過しようとする自分の意識や感覚、感情、思考をぱっと掴むことができるようになってきたようです。


以前も、あれもこれも思いつくけど、すぐ忘れるということが多かったものです。そのため、メモの取り方とか、作業として忘れない仕組みづくりに注力した時期もありました。勿論、それが役に立っている部分もありますが、先に書いたようにタスクの記憶や失念には効果があったのですが、心の中の動きを掴むということには効果があまりありませんでした。


今の心の中に浮かぶ一瞬の気づきや、感覚をキャッチすることができるので、書くテーマがかなり簡単にみつかるようになったのです。勿論、読んでくださる方の何かしらメリットになるようなものとして。つまりは、自分の心の声に上手に聞き耳を立てられるようになったということでしょうか。だから、当然、心は満足もするでしょうし、望んでいることも理解しやすくなるので、自分の心から「そうじゃないんだよ」とクレームがつくこともへってくるのです。


いくら意識して心を観察しようとしても、最初はとてもとても難しい。何度も挫折して、何度も眠たくなって気を失う事数知れずでした。でも、それも仕方ないと諦め半分で継続したことが多少は結果となってでてきたように思います。


私なんてどうせ変わらない、全然続かないしできないよと思うことが誰しもあります。私も何度もそう感じたことがあります。でも、諦めても、苦しさや悲しさ、何かしら自分が今感じてる不愉快な感覚がなくなることは、残念ながらありません。そうであれば、多少手間がかかっても、時間がかかっても、変化を起こせるように逃げないでおければいいのかな思いました。一人では難しいことでも、誰かそっと伴走してくれる人がいればなおのこと大丈夫な気がします。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵