全部否定された

言語には、肯定文、否定文、疑問文など一定の構造のタイプがあります。よく、小さい子供には否定分を使わず、表現方法を変えて肯定文で話しかけようなんていう指導法があります。また、潜在意識は肯定文しか認識できないので、否定文でインプットすると否定の要素を取り除いて潜在意識はキャッチするので言葉の使い方をよく考えないとアファメーションはまったく逆効果になるという話もあります。


数日前、否定文の話をする機会がありました。一定レベル以上バーストラウマがある人は、否定文を拡大解釈して、勝手に意味づけを付加し、耳にした否定文の表している意味以上に、否定の度合いを強めて受け取ってしまう傾向があるというものです。つまり、言葉としては、あるパーツに対して否定をしているだけなのですが、非言語レベルのコミュニケーションとして、そのパーツ意外のすべての要素を否定されているような感じをうけてしまう傾向があります。よほど、何等かのトレーニングをうけて、そういった影響をうけないように鍛えている場合を除きたいていの人は、過大に否定されているような感覚をうけるでしょう。


例えば、ある女性が「肌の色が黒いね」と誰かに言われた場合、この女性がバーストラウマやインナーチャイルドが人並みにあったとすると、「肌が白いわけではない」と変換して受け取る場合がおおいのです。そうなると、「肌が白い」ということが当てはまらないねという文章の構造になるわけです。この文章だけだと別に批判や否定はありません。つまり、「肌が白い」という事に関して、黒いね、つまり否定しているという構造がありだけになります。否定しているのは、「肌が白い」ということだけです。


しかし、多くの女性は、自分の存在すべてを否定されたような感覚をもつことが多いのです。というか、一般的にそういう集合意識の力がかかりやすいのです。勿論、話す側のニュアンスもありますが、たとえどんなに話す側がきをつけても、受け手の受け取る印象をきめることはできないので、最終的には、受け手がどう感じるかがキーになります。


私もそういえば昔は、ちょっとしたこの手のことを言われると、がーんとショックを受けていたように思います。私は、日焼けしやすくて、すぐに黒くなってしまう肌質で、日常生活だけで十分焼けて、よく黒いねと言われていました。あまり、意識はしていませんでしが、かなり否定されたような印象をもっていたと、今振り返ると理解できます。


日焼けしないように帽子や日傘をかぶり、日焼け止めもばっちり塗っていました。ダイビングしにいっているのに、焼けないようにと必死だったころが懐かしいくらいです。でも、今は日焼けなんて、まあ見苦しくない程度で収まれば焼けてもありかなと思っているくらいです。なので、今黒いねといわれても何とも感じないし、褒めてくれてる?位にする思う事もあります。「自然でいいですね」という趣旨で。


この変化は、トラウマの影響が大きいのかとこの話で納得いきました。トラウマが減ると人の視線がきにならなくなるというのはこういったコミュニケーションレベルでも影響をうけない、変なスイッチが入らず、事実のまま受け取れるようになっているということのようです。


でも逆に、ポジティブに受け取るというのも不正確な非言語レベルのコミュニケーションかもしれません、先ほどの「自然でいいね」という解釈。別にそんな風に言われたわけではないので。しかし、まあこれは、本人がそれで幸福感を感じているので良いのではないかと思います。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵