友達

私の父は、育った環境の影響で、友達にとても固執していました。とにかく、友達が最優先で、友達のいない人間はだめな奴であるくらいの雰囲気でした。そのため私にも、友達、特に親友と呼べるような友達をつくらないとねと折に触れ話していたのです。そのため、私は「人は、親友をもつべきでありもてないのは何か問題がある」くらいに受け取っていたのです。

しかし、私はちょっと田舎の学校では変わった存在で、結果的に学歴だけみても、小学校140人ほどの学年で、4年生の大学にいった人はおそらく2割いないような地域でなんとなく浮いていました。さらに、当時のアイドルや漫画に興味のなかった私は、正直話のあうクラスメイトはおらず、適当に話をあわせてうまく付き合っているような感覚がありました。


小学生のころは父の言葉がまだ重くのしかかっていて、きっと高校にいったらもう少し友達の雰囲気もかわって父のいうような友達ができるにちがいないと思っていました。でも、少しましになりましたが、あまり変わり映えはしませんでした。これには少し悩みました。なんだかとても自分が欠陥のあるような人間に思えて、どうしたら人とうまく付き合える、ここでいううまくというのは、父が父の友達とつきあっているように付き合えるのかということです。答えがみつからないまま、大学に進学し、会計士になり、就職し、結婚しました。子どもができてもこたえがみつかりませんでした。


だから子供には父がいっていたような友達ができるようにしてあげないといけないような気になっていた時期もありました。でもある時、ああこれは父の投影に縛られていたとふっとその呪縛から解かれる日がやってきました。いつだったのか覚えていませんが、父の言っていた友達は、いつでも助けてくれる話をきいてくれる、付き合ってくれる人を意味していたのです。それは表面的には、とても素敵な関係にみえます。でも、厳しいいいかたをすると単なる共依存の人間関係だったのです。


家族でも夫婦でもないその同性の人間は、自分を厳しく糾弾することはなく、ある程度の寛容さと許容をもってせっしてくれるとても居心地のいい場を提供しあう同志であったのです。であれば、私に父の言う友達がいないのは仕方ないし、必要はないのだなと腑に落ちたのです。友達とは?とまだ回答は自分のなかでできていないので、この定義はしておきたほうがいいので、また考えようと思います。


人は弱いものだというフレーズがあります。確かにそうです、でもそこを放置するといつかは一人になる、本来はずっと一人であることが納得できずに、ほんとうに友達がなくなったりしていく年齢にさしかかるとバランスを崩す人が出てくるんだろうなと思います。


私も、一緒に食事をしていてその時間を楽しいと思える人、何かを学ぶために一緒に時間を過ごす人はたくさんいます。それを友達と呼ぶのか?友達ともいえなくもないし、知人ともいえると、仲間ともいえるし、なんとも不思議な人間関係が私の周りには構築されつつあります。誰がかけても、私はバランスを崩さないし、変わらず生きていくのだけれど、誰がいなくなってもいいわけではないのです。あまり一般的ではないけれど、そんな居心地のよい人間関係を私は感じています。父の言っていた友達よりもっと軽いけれど、もっと本質的に価値がある気がしています。


睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵