嘘をついたことはないでしょうか。私は、山のように、数えきれないくらいあると思います。誰かに対してついた嘘や、自分に対してついた嘘。法律に触れたり、誰かを陥れようとして嘘をついたりはさすがに今世ではしていないと思っていますが、過去生はわかりません。


なぜ嘘をつくのでしょうか?自分を守るため、その守るというのもいろいろな「守る」があります。物理的な状態を守るためもあれば、心の穏やかさや安全を守るためにつく嘘もあるでしょう。最近、嘘をつくことをあれこれ考えていて、幼稚園のときの私の嘘を思い出しました。


幼稚園時代、お昼ご飯は、週に3回、近くの仕出し屋さんのお弁当でした。大抵白米とおかずが3品ほどはいっていて、プラスチックの黄色いお弁当箱でした。とにかく、美味しくなかったのです。私の給食ライフの中で最低に美味しくない3年間でした。とにかく、この弁当の曜日が憂鬱で生きていく気力を失いかけるくらいいやだったのです。当時、さらに私はかなり好き嫌いが激しくて、食べられるものが限られていたので、暗黒の3年間でした。そして、園全体のルールだったのでしょうか、お弁当を残してもいいけれど、担任の先生に残すお弁当を見せて、ここまで食べたのなら残してもいいよとOKをもらってからお弁当を残してもいいという、曖昧ですが、幼稚園らしいルールがありました。


毎日、給食時間の終わる数分前になると、先生が声をかけるといっせいに園児が先生のところにかけよって食べ残しのチェックをしてもらおうと大騒ぎになっていました。まあそれくらいまずかったとも言えます。たまに「もう少したべようね」と言われている子供もいましたが大抵は残してOKということになっていました。しかし、私はその集団に入るのが面倒で、かつ「もう少したべようね」なんて言われるのはどうしても避けたかったので、先生に残ったお弁当をみせることなく、しらりと蓋をして返却ボックスに戻していました。


ばれて怒られたことはありませんが、かなりびくびくしていました。これが私がついていた嘘です。当時はかなりの、覚悟をもってこの嘘をついてたように覚えています。ばれて先生に怒られるのも嫌だし、ママに言われてまた怒られることを考えるとぞっとしていたように思います。でも、それでも食べたくなかったのです。


嘘をついて避けられた状況はありましたが、このように私は別の負担を心に抱えることになっていたのです。これはこれでまた負担であったのです。自分を守るつもりが結局は、別のまた守らないといけないことがでてきて、嘘をついたり、悩んだり、心が重くなったりするのです。さらに幼稚園に行くのが億劫になっていました。とにかく早く卒業したいものだとおもっていたのです。


嘘はいけないとも、この年になってはおもっていません。大人のつきあいの中では、必要な嘘もあるでしょう。しかし、自分につく嘘はやめた方がいいなと思っています。自分につく嘘は、たいてい自分の心を守るためで、とても筋の通った理屈がなりたったりするので簡単に嘘をついてしまいます。だから、嘘をつかないようにというのもこれまた難しいのです。


嘘をつかないと決めてもついてしまう、自分との約束をやぶってしまうというのはどうしたら辞められるのでしょう。1つは、嘘をつかないと傷ついてしまうような傷つきやすい心を強く鍛えることでしょう。それは、強がりをいうとか、虚勢をはることではありません。嘘をつかないと、不安や恐怖、惨めさを感じるような気がするから、それを避けたくて人は自分に嘘をつくのでしょう。だから、心を強く、言い換えると軽くしてあげれば嘘をつく必要もなくなるのではないでしょうか。


感情を扱ったり、自分の固定観念を取り払ったりすることで心の状態は軽く強くなります。ついついやってしまうことはやめようと思ってもやめられないものが多いですよね。行動やアクションを抑制するのではなく、それを引き起こす原因を取り除いてあげられらば簡単にやめることができるかもしれません。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵