受取るための1週間

今週は月曜から3泊で瀬戸内海のほうに行ってきました。西のほうの和食が好きな私のリクエストに応えていただき1泊目は、最近話題の和食を頂いてきました。一緒に行った人とほとんどしゃべりもせずに、食べることに集中した夕食となりました。久しぶりの、好みの和食に出会えて、なんとなく自分の本当に好きなものの原点を思い出した感じでした。セレクトしてくれた方には感謝です。自分ではなかなか決めきれないし、みつけられなかったでしょう。


その後の2泊も、旬の食材で食べたいものを食べたいだけ食べるというスタイルで、美味しいワインと一緒に食を満喫しました。しかし、満喫といっても、完璧に受け取れたか、と言われれば少し疑問ものこります。これを受け取ってしまうと、私的には変化していくベクトルに完全に乗ってしまうので、それに対する不安や躊躇があったのは否めません。


いつもならもっと食べるのに、あまり食べられないしちょっと食べるとすぐお腹がいっぱいになるような感覚でした。以前は、こんな目の前に出された、素晴らしい食材や料理をまえに手をつけずにいるなんて、なんと勿体ないことをするのだと少々無理をしてでもたべていたものです。これは、年齢で食がほそくなったとかそういう趣旨のはなしではありません。


東京に戻ってきてから、いつものパターンだと旅の疲れもあり、自分で料理するのも時間がないし、外食するか買ってきたものを食べることで済ましてしまうことが多々ありました。しかし、いいエネルギーのものを食べて、状態がよくなって、それが維持され、自分に変化がおきる可能性があると、人は、変化への恐怖から、またホメオスタシスの働きからあえて、そのいい状態を崩すような行動をとりがちです。それが、今回でいうところの東京にもどってからの食事でした。


空港からの帰路、あれこれ夕飯のことを考えながら家にむかっていましたが、とりぜず外食はやめようと決めて、とにかく家で何か自分で作る方向に落ち着きました。正直帰ってから、面倒だなと思う自分がいて葛藤もありましたが、とにかく簡単でもいいから、前日までのいい状態を崩さないような食事をとふんばりました。


というのも、その翌日も、旅行にいったメンバーと別の食事会を予定していたからです。1泊分の自宅での食事を何とかすればこの週の食事はかなりエネルギー状態のよいもので貫けるということでした。いつもならくじけるところですが、そこは何とか持ちこたえ、最終日のランチも害するような食事はさけて、最後のディナーに臨みました。


毎年恒例の12月の食事会で、もっともエネルギー状態のよい食材でコースを作りこんだもので、提供してくれる側も相当気合いが入っています。事前の打ち合わせもされていて、とにかく万全を期しての食事会なわけです。3回目の参加でしたが、私の中では一番満喫できた年となりました。食べている途中で、にげだしたくなるようなエネルギーの勢いを感じて、もう食べられないと諦めそうになることもあるのですが、とりあえず完食しました。


今日は、この1週間の受取を整理しようと意識をしていましたが、随分抵抗している自分がいました。これをうっかり流してしまうと元のもくあみとなるので、どうしたらいいのかなとぼんやり考えていました。取り立てて、素晴らしい方法があるわけではなさそうでした。基本に忠実に、受け取ることを自分にコミットすることがベストなような気がしました。


なので、じっと、受け取る事、変化することを受け入れる事、変化していくことに怯えない、不安を感じても一歩進んでみようとコミットするこれをじっと意識してみました。なかなか意識つづけるのも難しかったのですが、でもただじっとそれを意識し続けてみました。なんとなく、わだかまりというか、自分の中でかたまって動かなくなっていたものが緩んでいくのを感じました。


受取るというのは、食べる物や状況あらゆるものと自分がバランスしているということでもあります。なので、いい状態のものを受け取るというのは自分の状態や価値がそれとみあうことを認めるということを意味します。自己肯定をしていく、そしてそれがある意味当たり前の境地に移行していくことになります。何度も行ったり来たりを繰り返してきましたが、今年は、しっかり受け取って自己肯定をし、望んでいた世界へ進んでいきたいと思います。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵