真面目に聞き過ぎていた

娘が学校の話をするので、ふと子供の頃の教室の感覚が出てきました。先生が道徳の時間やホームルームのときに話しているような状況で、それを一生懸命きいている小学校1,2年生の私の感覚でした。今となっては不思議なのですが、完全に真に受けていたのです。

当たり前と言えば当たり前で望ましいこと、喜ばしいことかもしれません。先生の発言することをその発している人の想定している感覚とは明らかにことなる、感覚でうけとっていたのです。つまりは、重く受け止めていたのです。

先生の言っていることは正しくて、それを守らないといけない、またはよい状況のために努力をしないといけない、我慢しないといけないとおもっていたのですが、それが明らかにほかの子供とは異なる感じでした。過剰にうけとっていたのです。なぜ、そんなにまじめにはなしに耳を傾け、それを遵守しようとしていたのか、理由はわかりません。気質としか言えないのかもしれませんし、敢えていうなら過去生でしょうか。

とにかくものすごく大変なことを言われていてそれを死守しないといけないという感じでした。これも学校生活を楽しいものではない感じに印象づけた自分の価値観だったのでしょう。あれこれ、言われてそれを守らないといけない場所、そんなイメージがありました。

そのためとにかく早く脱出したかったので、ホームルームがおわると一目さんに下校して家に帰っていました、友達をまつのも面倒で、一人でさっさと帰っていました。用事がなければ朝もなるべく遅くぎりぎりにいって、拘束されるような環境に長居しないようにしていました。

もっと気楽に先生の話をきいて、もっと他の子どものように軽く聞き流して適当にやりすごせばよかったのにと、今となっては思います。当時の自分に会えるなら、「そんなこというても先生も人間やから、、、ほどほどでええやん」そんなことを言ってあげたいと思います。子どもは、かくも大人が思う以上に、想定していないところで重く受け止める事があり、逆に軽く受け止める事もあります。これは致し方ないことでしょう。コミュニケーションとはそういうものかもしれません。

でも、そうしたちょっとした癖で、人とことなる受取かたをして苦しんでいる子供はたくさんいるはずです。先生だけではなく、親や祖父母、兄弟のいうことに同じような力を感じて自分の無力さを感じて服従したり、真に受けて話を聞き過ぎたりしていることでしょう。しかし、小さいころはそうであったとしても、もういい歳の大人になったあかつきにはその呪縛から出てもいいのではないでしょうか。

場合によってはその呪縛にかかっていることすら気づいていないのかもしれいですね。気づいていても、どうやって出たらいいのかわからないという人も多いのかもしれません。

私も何とか変えたい、変わりたいとおもっていたけど、まったく方法が思いつきませんでした。でもヒーリングをうけて、微塵も浮かんでこなかった、方法の兆しがみえるようにはなってきたのです。今となっての振り返りで当時は自分がそんな呪縛にかかっているなんて思っていませんでした。なんとなく生きずらい、その程度でした。でも、結果的には、覚醒塾の取組も含めて、やっと真に受けて聞き過ぎていた言葉の世界からでることができるようになってきたのです。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵