なぜ戦えたのか

自分の性格を俯瞰してみると、何か自分の望まない状況や事象、心地よくないものがあるとそれを何とか自分の望ましいものに変えられないかと働きかけようとするところがあります。諦めが悪いともいうし、細かい事にうるさくてこだわりがあるともいえるし、いろいろな表現がありそうです。とにかく、自分のこうしたいと思う事にある意味貪欲です。

この性格があったからこそ、少し大変なことでも頑張ろうと思えたり、継続して続けたりできたことはあり、メリットもありました。勿論、デメリットも大いにあったわけです。

周囲との軋轢をうんだり、執着やこだわりになってしまってどうにもならないことに対して絶望感を感じて打ちのめされたりもするわけです。なんでも一長一短ですね。

翻って、これを父との関係で考えることがありました。私の父は、私が小学校にあがるまではとにかく厳しかったのです。言われたことを守らないと、かなりの勢いで頬をぶたれたり、夜に家のそとにだされたりは日常的なものでした。しつけという大義名分のもとで、八つ当たり的に怒られていると感じる部分もありました。そのため、父のことがとてつもなく怖いとおもっていたのです。機嫌よく楽しく遊べるときもあるけれど、いつ怒られるかわからないとおもっていたのでなんともおちつかなかったわけです。楽しい時間だとおもって楽しんでいると、一瞬にして恐怖の時間に早変わりなんていうこともよくありました。

でもあるときから、私は死ぬほど怖くて怖くて仕方なかったのですが、父に反論し始めました。1つシーンを覚えています。小学校の高学年になったころ、夕飯の場で一瞬父と私の二人になったときに何か父に指図されたのです。父はそのとき機嫌が悪かったのです。

でもその内容は、父の不機嫌さに起因していて私が子供であっても指図して何かをする必要がないことだと私は感じました。私は、父の目をみてそのままを口にだした、今言われたことには従わないと。父は何か「うるさい」とか程度の意味のない言葉を返してきただけでした。幼稚園のころも、一度あったのですが、年長さんのときに父の言葉にむかついて祖父母の家に家出をしたことがありました。これが厳密には最初でしょうが、言語的に戦いはじめたのはさきほどのあたりからでしょう。

こんな感じで私は、自分の不快な状況や理不尽な状況を打開すべく父と戦い始めました。だから、同じように怖いお父さんがいる友達とこの話になると、ほかの友人はそんなこと恐ろしすぎて言えなかったという話もよく聞きます。勿論私だって怖かったわけで、かなり暴力的な父だったので、物理的にも危険を感じていましたが、でも戦いました。どうして戦える私と戦えない友達の差があったのでしょうか。

なかなか答えが見つからず、子供の性格、親子のパワーバランス、どれも確かにそうなんだけれど、何か腑に落ちずにいました。年末、ある人との会話の中でこの話がでました。なるほどと目から鱗でした。その人は私と友人の両親の人となりをだいたい知っている人である意味バランスよく家族を見ることができます。

私の母の立位置がポイントのようでした。私の母は、言葉少ない人で、もっと何かアドバイスはないのか?とこちらが聞いても「あなたの好きにしたらそれが一番いいと思う。お母さんはわからないわ」となんとも暖簾に腕押しなことしか言わないようなタイプです。

しかし、これは絶対的に私を肯定してくれていて、私を受け入れてくれていたということでもあり、かなり強く私を愛してくれていたことの現れでもあるということでした。この母親の信頼感と帰る場所があるという安心感が気づかぬうちに私の中に作られていてその上にいたから私は父と戦えたんでしょうと。

子供は、どちらか一方の親が厳しくても、もう片方が安全基地になってくれていればある程度は戦おうとする、そんな特性があるものだということです。これは全く想定していなかった母からのギフトでした。勿論、一般的な意味で、大切に育ててもらったという感覚や感謝の気持ちはあります。一方で、もうちょっと積極的に関わってくれてもよかったのにと思うところもありました。そんないくつかのポイントのなかで今回のポイントはまったく認識していないことであったのです。

疑問の解消にもなりましたし、自己理解が進む1つのきっかけにもなりました。やはり人間は、人それぞれ、その人に関わってくれる人や環境によって、その個性も才能もが影響を受けて唯一無二の存在になっていくのだなと思いました。一般的な解釈を知識としてもって、個別に自分の家族や環境にあてはめてみてみないとなかなか本質はみえないものだなと改めて思いました。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵