絶対的な味方

先日、登山をしました。まだ、雪渓が残るなかを歩き、自然のクーラーだと心地よく歩きました。しけし、日差しは8月のもので下山すると日焼け止めを塗り忘れた両腕が真っ赤になってしまいました。

結婚しなかった女性に、世間は、忙しかったかもしれないが、結局誰からも選ばれなかったのねと、いいたがるのかもしれません。そして、以前流行った、負け犬論的に本人も、負けのレッテルを自分で貼って自己価値をさげて、劣等感を感じる。しかし、だからってこれくらいの劣等感で結婚するのか?  そんな劣等感にまけるくらいの人はそもそも社会で一人戦いながら仕事をしてやっていけないでしょう。  ある程度仕事をこなし、一人で生きていける人が結婚にむかうその、モチベーションは?

理解してくれる人が欲しい。
絶対的な味方が欲しい。

これがモチベーションになって、結婚するのではないでしょうか?

誰かからの「あなた、結婚できなかったのよね」攻撃くらいはねのけられても、はねのけられないのが、理解者や味方のいない寂しさや不安なんでしょう。結婚しなかった否定感をさけるためだけに結婚はしないけど、この寂しさや不安を一人抱えていきていくのは、年をおうごとに負担が強まるのでしょう。だから、突如、ええその年で?という年齢になってある程度経済力のある女性が結婚したり出産したりるする理由は、種の保存本能というより、知性ある人間の自己防衛本能なんだと思います。
 
ペットを飼ったり、趣味やその仲間の関係に時間をついやすのもこの寂しさや不安をかき消すためではないでしょうか。世の中的には、孤独死やそこまでいかなくても、何か趣味をもちましょう、社会とのつながりをもちましょうと、そうしないとまずいですよという風潮です。これは、根底には、一般的に人は理解者や味方のいない寂しさや不安に襲われると自分を維持しきらないことが多いということなんでしょう。だからそうなる前にと。いくら経済力をもっても社会的立場があっても、この不安や寂しさに対峙できるひとはあまりいないということでしょう。ましては経済力も立場もないとなおさら難しい。
 
でも、本当に自由で満たされた人生をいきるには、この不安や寂しさともうまくつきあっていかないと、付き合わなくても、負けてしまうことはないようにしたいものです。負けないために、ペットをかったり、刹那的な付き合いに時間をついやし、不安や寂しさから目をそらさないでいたいものです。目をそらせても、そっといつもくっついてきてすきをねらっているのです。 
 
そんなに難しいことでは実はないのです。そんなに恐ろしく大変なことでもないのです。
自分の中に、不安や寂しさが潜んでいる、そこから逃げたいと思っているということをまずは認識しておけば、次の対策は見えてくるように思います。
この認識だけで随分と違います。
 
そして、ペットにしても家族やパートナーにしても、絶対的な味方にはならないということも理解しておきたいものです。人は、誰かに幸せにしてもらえないのです。自分しか幸せにできないのです。味方がいるから安心はできないし、味方とおもっていてもあなたの目の前からいなくなってしまう時が必ずくるのだから。

そして、こんな心持ちでいると、なんだか、パートナーと呼べる人がふらりと現れてるのかもしれません。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵