ワシントン

トランジットしたカンクンから、ワシントンに来ました。目的は、合唱に参加するためです。今回のような事がなければ、わざわざ、ワシントンにくることはないでしょう。日本でいうと、永田町や霞ヶ関にいくようなもので、観光するようなところはほとんどありません。なので、特になにをしたいというわけでもなくやってきました。

意外に驚いたのが、入国手続きです。ホワイトハウスもあるので、それなりの規模の空港なんですが、ESTAの自動手続き用の端末がないので、入国手続きは、アナログで担当官が座っていてパスポートをみせてというパターンで、あれこれ質問されました。キューバに行っていたので何か言われるだろうと思っていましたが、案の定、何しにきたのか、どこにいってきたのかと、いつもよりは質問されました。そのため、余計に入国に時間がかかったのです。あえて、アナログにしてチェックを厳しくしているのでしょうか。愛想がわるく、無駄にダラダラしているというよりは、しっかり確認している印象の入国手続でした。

メキシコやキューバから着いてみると、まるでここは日本のような場所だと、アメリカにいるのにそんな感覚をもちました。もちろん、日本にいるよりは、大変なことはあります、日本語は通じないので。しかし、空気感や英語の通じる環境、想定しているコミュニケーションがとれるというのは緊張感がなく、心穏やかにいられるわけです、そう想定できる範囲なんです。そう思うと、やはり、国や地域の集合意識の影響というのは非常に大きなものだと思いました。ベースとして持つコンセンサスがやはり、メキシコ、キューバ、日本だと大きくことなるのです。つまりは、日本であっても地域的な影響や、組織、集団の影響は非常に強く、その上に自分はいることを改めて認識しました。

安心、安全ではあるけれど、共通のコンセンサスや集合意識は、ときに、わたし達の自由を阻害して本来の意識を隠してしまうものでもあります。集合意識に影響され、本来の意図とことなる選択をしているということです。どんな場所や国にいても、自分らしく在れるといいですね。その定点観測の意味でも、ときどき、国内、海外問わず、移動することは必要な気がしています。

日常はともすると、一定でルーティンがよいという感覚が強いかもしれません。毎日、変わったことやイレギュラーがあるとなんだか疲れてしまうことはないでしょうか。家族が体調を壊した、ちょっと残業が続いた、ちょっとした変化で疲れている自分、そして、できたらそれを避けたい自分がいるかもしれません。 しかし、できれば、そんなイレギュラーも日常の一部として、受け止めて日々を過ごせるといいなと思いました。

変化やイレギュラーが負担になるのは、それに対して反応が出るからでしょう。もちろん体力的な問題もありますが、実際は、心理的な反応の方が負担は大きいでしょう。予測ができない不安や恐怖、対応しきれるかわからない不安、時間通りにやりきれるかどうかの焦燥感、どう周囲におもわれるのかという不安、どうして自分がこんな目にという哀しみ、お金にまつわる不安や苛立ち。あげると切りはないくらい反応の要素はあります。

こんなに沢山ある反応を避けたいからこそ、人はルーティンや普通を望みます。しかし、普通とおもっている状況は、自分がそういった反応をしないですむような状況を指している事が多く、それは自然にできた状況ではなく、自分が作り込んだ状況なのかもしれません。であれば、なにかを変えたい、望む人生や時間を過ごしたい、今の状況は望むものではないと感じているなら、今の普通を手放していくと、なにか変化が生じて望む状況になっていくのかもしれません。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵