音階と調

私は、自他共に認める音痴です。学生時代の成績も、音楽だけははっきりいって圏外な感じでした。 自分のだす音がずれていることは、理解できるのですが、正しい音にアジャストできません。小学校の音楽の時間、歌のテストでみんなに笑われることは毎度のことでした。歌のテストなんか、なくなればいいのになぁとよく思ったものです。

そんなこともあって、一悟術のヒーリングを受けた人だけで歌う合唱も、自分とは関係のないことだと全く関心がありませんでした。というか、自分が参加するなんてとんでもなく迷惑をかけそうだし、みっともないからありえないと考えていました。何人かの人から、個人的にもお声がけを頂きましたが、そのたびに丁重にお断りしていたのです。しかし、自分の課題と向き合うため、今までと違ったことをして変化をしていくために、必要な題材であり、かつ効率的なコンテンツだなぁと考えるようになりました。指揮者からも、プロセスを進めるためにも、一段ふかいところにある課題をみつけて解決していくためにもいいと思うとアドバイスもあったので遅ればせで参加を決めたのでした。

当然、まったく声はでないし、自分のパートだけうたっていたらなんとかなりそうでも、他のパートと合わせると「。。。。。」という感じでした。あまり練習もしなかったので当然といえば当然なんですが、参加しようとしただけましだろうという感じで歌詞も直前まで覚えられずにワシントンに到着してしまいました。しかし、他のかたの記事などにもあるようにワシントンについてからのみなさんの伸びもすごかったのですが、私ですら、「あれ?ちょっとましになっている?」と思える程度にはなっていきました。迎えた本番は、なかなか楽しい時間でとなったのでした。

そんなわけで、やめると次の参加が難しいという安直な理由で、合唱を継続することなりました。そして、新しい曲も次のイベントも決まったのです。さすがに、もう少し真面目に課題に取り組むべく、基本からやってみることにしました。幸いなのか、不幸なのか、主人はピアノが得意なので、ドレミファソラシドの音とりから始めました。曲によって、調がことなり音階が違うので課題曲の音階や調を理解して、基本的な理解から始めました。

私は、3歳から18歳までクラッシックのピアノを習っていたのです。なのに、音痴でかつ、音階や調の知識が皆無です。幼稚園児や低学年のときにあれこれ先生に教えられましたが全く理解できないまま大きくなってしまいました。音階と調は私には理解できない永遠の謎となっていました。しかし、主人曰、この理解なくして音はとれないと言われ、???となりながら多少の理解ができるようになってきました。

ルールが明確にあるわけなので、きちんとルールを聞いて理解しようとすればできるはずなのに、なぜか理解しようとしなかった。泣いて、ピアノの先生に、「わからない」と駄々をこねていた記憶もあります。理由はわかりませんが、理解したくなかったのかなと最近思っています。何か私の核にある、「これを理解したら自分にとってまずいことになる」というセンサーが働いていたのでしょう。なんとなくセンサーの反応する理由は掴みかけていますが、理由はもうどうでもいいのかもしれません。

嫌だなと思うこと、理解できないと思うことは、本当にシンプルに向いていない、必要のないこともあります。だからなんでも嫌なことにチャレンジしたほうがいいというわけでもありません。でも、本当に必要で、それをうけとってしまったら何か自分の世界が変化してしまうようなことも「嫌だ」と感じることが多いものです。音楽や合唱にかかわることで私の世界もかわっていくのかもしれません。共感、共鳴することで何かを受け取れそうな気がしています。しかし、抵抗も強く、毎日が一進一退な感じもしています。

ヒーリングやリーディングを受けることもとても似ています。怪しいしなあ、効くのかな、そんな思考が頭をめぐるでしょう。私もそうでした。笑 でも、本当に変わってしまう、それも結構、簡単に楽に自分の状況がかわってしまうので、かえって抵抗がでるんだなと思いました。