楽してうまくいくに越した事はない

楽して得したり、期待通りの結果がでると、罰が当たると思っていませんか?日本人的によくある発想で、根強い集合意識としてみんながもっている感覚ではないでしょうか。もちろん、私もその一人でした。

苦労したり、つらい目に合わなければ、それに見合う結果は得られない、または得てはいけないような脅迫観念のようなものがないでしょうか。一定の結果を出すために努力しないであわよくば、、、、濡れ手に粟が最高だ、ということをいっているのではありません。もちろん、結果につながることはやらなければいけませんが、必要以上に、過剰に必要以上の努力ややった感、疲労感、辛い感じを感じないと自分は何も受け取ってはいけないと感じている人が相当いるわけです。

例えば、私の場合だと、必要な書類を作成するための基本的な準備として簿記の仕訳を切るという作業があります。スタッフに任せてももちろんできるわけです、しかし、私がやったほうが早いよなとか、これはやればできるけど、難しいから大変そうでスタッフがかわいそうだなと感じて、「ああ、いいよ私がやっとくね」と仕事を引き受けてしまうということがよくありました。そのベースには、自分がやれることはやってあげなきゃ、めんどくさいことをやらせてばかりなのは悪いから、私に時間の余裕があるなら私がやってあげたらいいかな。そんな気持ちがありました。でも、これは、今おもうと、人に任せて、1つの仕事の一部だけを自分がになって簡単に楽に終わらせてしまうことへの罪悪感があったのです。

それは、スタッフに対してもそうだし、クライアントに対しても、私がそんなに時間をさいて作業していないのに請求するのは悪いことではないかとおもっていたんです。

お母さんが、子供のお弁当に冷凍食品や加工したものをいれているとなんだか罪悪感を感じて楽してはいけないような気になる。疲れて帰ってきていても、楽して外食してしまうのは、自分が母親としての責任を全うしていないような感覚になる。みんな同じで、楽してしまうことへの罪悪感があるのでしょう。

自分にとても厳しく、ハードルを上げているのは実は自分なんですよ。家族や同僚よりも

自分が一番厳しいかもしれません。もっと、自由に楽して、それでうまくいくそんな生き方を模索していきたいものです。

私は楽してうまくいくことに越した事はないと発想を切り替えることそのものに抵抗があって、「そんなわけがない」とか「そんなことしたら罰があたる」と本気で思っていたのです。ヒーリングをうけ、この発想を取り入れてからのほうが罰があたったような、アンラッキーは激減しているように感じます。 

でも、ヒーリングをうけるまでは、この発想の切り替えがいくら人から言われても受け止められませんでした。トラウマやインナーチャイルドが邪魔をしているんでしょう。その靄が晴れたから、聴く耳をもって発想の切り替えができるようになったように思います。
















睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵