自分をごまかす事と自分を労る事

きっと、本来は、人は自分の好きなことをするのが一番幸せでそう在るべきなんでしょう。

しかし、実際に生きていると好きなことだけやって生きることはほぼ無理なわけです。生きていくため、家族のため、嫌なことでもやらなければいけない状況は限りなく続きます。そしてそれが続いて、無理がたたると、心身のバランスを崩してしまう人もでてくる。そうなると、やっぱり好きなことしたほうがいいよねという方向に考えが巡っていくわけです。

でも、本当は「好き」が何を意味しているのか、何をさしているのかをもっとよく考えて見極めないといけないのです。

今の顕在意識だと「好き」の部類の入ることが実は、潜在意識的には好きに該当しないこともあります。 また、何か避けたいもの、向き合い切れないものがあるとそれを避けられるようなものを「好き」と認識してしまう。さらに、その避けたいものを悪として、それは自分がかかわる必要のないものだ、好きではないものだ、自分は好きを選ぶ権利や義務があるから、この嫌いなものは選ばないのだという発想になってしまうことはないでしょうか。

気を付けないといけないのは、人はこの論理のすり替えを非常によくやってしまうのです。だから自分にとっての正論を盾にして、ほんとうは見たほうがいいものを見ないで逃げて、自分をごまかす事に結果的になることがあります。

ビジネスマンでもそうだし、家庭の奥さん、学生、子供、人生を十分経験した年齢のかたでもこれはやってしまう落とし穴です。好きをえらんでいいというのは、実はもろ刃の刃なのかもしれません。

自分をいたわることはもちろん必要で、すり替えではない発想から好きをえらんでいるのならそれは、「好き」を選んだほうがいいよねという、考えの趣旨に合致したものです。しかし、自分をごまかすために「好き」を悪用しないでほしい。好きじゃないことはやらなくてもいいという、印籠ではないのです。いっときの、時限的な必要性から好きを最優先に時間を過ごす必要があるときが誰しもあるかもしれない。でも、それが過ぎるとバランス感をもって好きと嫌い、苦手を見ていかないと、人生は決して自分の思い描いたようにはならないのです。好きを大切にすることと、嫌いを無視することは同義ではい。これは併存するもので、併存してはじめて、自分の思いえがいた人生に近づけるのです。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵