計算ドリル

小学生のころ「計算ドリル」や「漢字ドリル」を誰しも一度は手にもったことがありますよね。繰り返し、練習することで、計算や漢字をみにつけるわけですが、時と場合によって、またその人によっては全く覚えられなかったという結果になったことはなかったでしょうか。

私は、ドリルに関わらずですが、「あの何時間かの勉強はいったいなんだったんだ」というくらい、やったことが記憶にのこっておらず、まったく身についておらず、テストに活かせなかったがあります。当時、私は、頭が悪いから、これでは回数や量がたりないので増やして対応するしかないなという発想で勉強時間を長くとる結果になってしまっていました。

しかし、これは頭の良し悪しも影響因子ではありますが、実際は、ほんとうに手の運動にしかなっていなかったのでしょう。つまり、解いているし、書いているけど、意識は実はそこにむいていなくて、私に実感としての計算や漢字の画像はうけとれていなかったのでしょう。 解いて提出することが大切、解いてこなしていればみについているはずという、幻想にはまっていたのでしょう。

当然、単純な計算や漢字であっても、その記憶やトレーニングの過程で、自分の意識がそこになければ身に着ける事や記憶することはできません。人間は器用なもので、意識をどこかにずらしながら作業はできたりするものなのです。当時の私は、実はやりたくなかったし、こなすことに逃げていたわけです。やりたくない気持ちは全く無視していました。面倒くさいなという感覚ももたないようにしていたのでしょう。

こんな状況では当然、何も見につかない。「頑張っている」「仕事をやっている」「仲良くしようとしている」 自分も納得できるくらいに、そういう作業としてやることは可能なのです。 でも、ここに実感を伴わないと、何も結果は変わらないのです。

自分の内面と向き合う時は顕著で、向き合おうとする対象にまつまる感覚や感情を自分の手のひらにのせて感じるように実感をもって向き合わないと向き合った結果はなかなか現れません。

感情カウンセリングで用いるワークや覚醒塾のワークなど、ある種の型として存在しているものはやっているだけで効果があるような気がしてしまいがちです。でも、一番重要なのは、そのときに、どれほど実感を手掴み感をもって、自分の気持ちや感覚、感情を扱えるかどうかです。 みなさんは、どれくらい実感をもっているでしょうか。

もし、やっても変化がないならば、この基本を見直ししてみるといいかもしれません。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵