変化球

先日、仕事の合間を縫って国内に旅行にいきました。夕食の時に、一緒に行った知人から、最近変わりましたよね、と唐突に言われました。

きっかけは、髪型のことだったのですが、よくよく観察すると、髪型がかわったというより、私自身が何か変わった印象を受けたとの事でした。どうしてか?という展開になって、いくつか思い当たる理由をあげてみました。

2018年の夏に、「これからどう生きていきたいか」と方向性をある程度固めた時に、「そのために必要なことは何だろうか?」と考え始めました。雑に言うと、「今とは異なる状態を目指す」。「今のままでは嫌だ」とそれだけははっきりしていました。そのために、「何をしていけばいいのかなぁ」と考えたわけです。 一人でそれがわかればとっくにそうしていて、わかっていてもわからないような感覚になったり、わかっていてもできなかったり、全くわかっていない想像もつかないこともあるわけです。なので、アドバイスをもらいながら模索してきました。

灯台ともちがって、わたしには、手持ちの行燈のような感じです。懐中電灯ほど明るく照らしてはくれませんが、指針として信頼はおけるわけです。あると安心ですが、うっかりしたり、風が吹くとすぐ消えそうになるし、つけるのも手間なわけです。

行燈と独り言のように言葉を交わす中で、日常の些細な事、些細ではないけどそこそこの決断を必要とする、「私にとってやる必要性」のあることがあがってました。

いずれも、ブログにも書いたことですが、私にとっては大きな変化というか、抵抗のあること、怖いこと、今まで避けてきたことが、必要なこととして上がってきました。車の運転を再開する、合唱する、スキーする、仕事をオフィス以外でする、どれも1つ1つは誰もがやっているようなことで、なんだそれは?そんなことか?というようなことです。

一度に全てはできないし、それをやったら、次の日には私が十歳若返っているわけでも勿論なくて、こんなことやっていて意味があるのだろうか? 

しかし、今までこの手の心配がやってきては止まって、やっぱりやめてをしてきて、今の状態なわけです。であるならば、今と異なる状態を目指すなら、今までやってないことをやってみるしかないわけです。今までの枠に収まっていたら、今までと同様にしかならない。そこは、論理学的に自己説得をして「無駄かもしれない」という心の声をねじ伏せて約1年ちょっと過ごしてみました。その時間についてのレビューコメントをもらったようで、不覚にも、喜んでしまいました。

ヒーリングを受けた時の、あの感覚と似ているかもしれません。まったく意味不明で、こんなことやって意味あるのか?と。私もとうとうここまで、来たか、、、、と思いながらヒーリングの申込をしたのです。全く未知の世界で、二日ほど前に初めて会った、なんだかよくわからない人(ごめんなさい、たとえ話です!)に何十万円も払うときめてるけど、まあ進んでみようと賭けてみた、そんな、未知を受け入れる感覚を受け入れました。

大きなことでいきなりは無理ですが、例えばランチをいつも同じ人と食べて居るなら一人で食べてみるとか別の人と食べてみる。何かあったら相談するのはいつもお母さんなら、友達にしてみる、ちょっとしたことを変えていくこれは大きな変化につながります。 

もし、今の自分と異なる状況の自分を望むのであれば、今を作っている選択と同じ選択をしていては、変化は難しい。少し、変化球を投げてみて下さい。最初は失敗するかもしれないけど、それも愛嬌です。失敗を笑い飛ばして懐かしめるような日がくると思います。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵