変化球もいろいろある

先日、変化球が自己成長や目の前の現実を変えていくためには必要だということを書きました。ちょうど、これと同義の話を聞いたので、備忘録を兼ねて書いておこうと思います。

どういうものが変化球に該当するのか、という話です。

例えとして出た話は、以下のものです。

夏ごろ、約1週間ほど海外旅行に行きます。企画やアレンジはお任せしていて、自分ではあまり行かないような場所です。かれこれ、3年、毎夏行っています。目的は自己成長というと大げさですが、観光目的ではないことは確かです。短くはありませんが1週間だと得られるものを得そうになった、感覚をつかめそうなつかんだような感じで帰国の途につくことがあります。 なので、もしあと3日、この旅行が長ければ、もう少し確実に得るものがあって何か変化が加速しそうな気がしています。

この3日間、旅行の日程を伸ばすというのは、この企画での旅行ではやったことがないわけです。海外に1月ほどいっていたこともありますから、長く伸ばすという意味ではないのです。

この会で、自己成長を意図して3日間、旅行日程を伸ばすとどうなるのか? 

3日間伸ばした結果得られる感覚や状態は、私にとっては未知なものです。

想像がつくような気もしますが、実際は想像しても想像できない感覚でしょう。なぜなら、その体験をしたことがないし、感じたことがないからです。1週間でこんな感じになった感覚があと3日のばすと、かなり何かがかわるかもしれない。かわらないかもしれません。

枠を外していくために、変化球として投げるボールは、自分の既知の世界へのボールでは意味をなしません。想像しがたいもの、とうてい受け入れられそうにないものが該当することが多いように思います。

そして、一回枠を外したからといってそれで外れるわけでもないのです。

すぐにまた同じ枠を人は作ろうとします。外れた枠をはずしたままにしておくために、それなりの注意と戻らないように新しい状態を定着させる必要があります。 日々の選択をかえていくことも変化球にはなるのですが、例えば、1回、1本1000円の牛乳をかって飲んでみる、これは全くやったことが無い場合は、変化球にはなります。しかし、これが1回だけだと、晴れの日のお買い物的になるだけで、その人のお金に対する捉え方をかえるほどの変化球にはならない。1回、珍しく変化球をなげられた程度になるわけです。いかに変化球を日常化できるか、定着させられるかも変化には重要な要素です。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵