変化球を投げる肩

変化球つながりで、もう一つ。
私は小さいころは変化がきらい、不安定さがきらい、予測できないことが嫌いで怖いと強く感じるタイプでした。だから事前に準備もするし、時間も遅れないようにと約束の随分前に目的地についてしまうような感じでした。

だから、危険のともなうことはしない。リスクがあるならできる限りのヘッジをしないと恐ろしくてできない。前に進めない。予想ができないと、前にはすすめず、辞めてもときた道をもどること数知れず。

でも、ヒーリングを受けてからそこは凄くかわりました。怖いけど、でも、やってみよう、なんとかなるだろうと前に進むこともできるようになりました。

英語はほとんどできないです。初めて語学留学したときは、心臓が破裂するんじゃないかと思うくらい、緊張して、このまま日本に私はかえれないかも?なんておもったりしました。当時、30 歳でした。何をいわれているのか、まったく、完全にわからなかったのです。常に???。 帰る頃にも、あまり状況は変わらずでした。とにかく、無事に帰ったことを心から喜び、まったく進歩しなかった語学力に落胆しました。

その11年後。ヒーリングを受けた後の私は、当時の私以上に英語のできない娘、13歳をフランスに短期留学させました。たかが6週間ですが。フランス語も、まったくに等しくできなかった娘を送りだしました。

ここで私から手を離さないと、一生、ママ!ママ!ママ!と言い続け、そしてその子を憂い手を差し伸べ続ける母親から脱却できない、今離さないと、娘のためにはならないなとおもったのです。
先回りしてあれこれ、手を出してしまう母、それに安穏とする娘。この構図は、とにかく早く壊さないと、娘の害になると焦っていました。娘のためより、私のためだったかもしれません。助けたくても助けられない所で、一人で頑張る娘をじっと待つしかないわけです。助けてくれる人も近くにいないし、日本語のできる人も学校にはいません。拙い私の英語でメールで学校とやりとりするだけです。
守ろうと思っても、手を出したいと思っても出せないところに娘はいました。

空港から学校までは、ドライバーが送迎してくれますが、途中連れ去られてしまったらもうどうしようもないわけです。悪い状況が次から次へと現れて出発前に、私がかなり憔悴していました。 でも、今更やめられず、気がついたときには成田空港まできていました。飛行機に乗る時は、娘も不安で泣いていました。本人も行くと決めていましたが、当然不安はあったはずです。

ああ、もう会えないかもしれない、そんな覚悟もしました。大袈裟なのですが、母親はそれくらい愚かでもあるわけです。

パリにつきドライバーと合流したと電話がありましたたが、そこからの数時間生きた心地がせず、ほとんど眠れませんでした。学校についたと連絡をうけ、GPSで位置を確認してやっとねむることかできました。ほんと、情けない母親ですね。

ヒーリングを受ける前の私なら、私がついていっていたかもしれません。でも 私にも娘にも、超、変化球を投げられる肩をもてるようになったのはヒーリングの効果だと思います。怖いけど送り出そうときめられた。ここは、改めて受け取っておきたいと思います。

何の縁もなく、ネットで調べた学校に送り出せたのは、その後の親子関係にとてもいい影響がありました。 変化を得られたおもいます。わたしも、娘も自由になりました。お互いを繋いでいた鎖がはずれたわけです。

彼女と繋いでいた手を離せたことで、適正な距離感、より彼女の自立を促せる立ち位置に立つ事ができました。甘えたの一人っ子、ほんとどうしようもない子供にしたのは、私であったわけで、そこから少し抜け出すきっかけになりました。まだまだ、道半ばですが、スタートをきれたことは、本当に良かったなと感じています。

睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵