浮遊感

あっという間の1週間でした。1月ほど一進一退を繰り返していた義理の母が亡くなりました。ここ最近はそうでもありませんでしたが、スープの冷めない距離に住んでいて、娘の面倒もずいぶんみてもらい、仕事をもつ私は幾度となく助けてもらってきたので、一般的な嫁姑関係からすると近しい人でありました。とはいえ、取り乱すほどの悲しみに包まれるわけでもなく、1ケ月意識のなかった義母の苦痛を考えると良かったと安堵する気持ちのほうが大きくもありました。

一般的な葬儀の慌ただしさもありますが、それ以外にもいろんな要因があって、いつもの自分のように過ごすことがとても難しい1週間でした。ひょっとするとこれからもつづくのかもしれない、「見えない影響」、対応に苦慮しているのが本音です。

人に自慢できるほど、地に足のついたグラウンディングしている状態を常に維持しているわけではありません。でも、平均からするとましなほうで、それなりに意識も維持して、自分の状態を安定させてきたつもりでした。だからこそ、努力や意思をもってして安定した状態をつくれないとぼやく人(たいていは、主人と娘なのですが)をみるにつけ、「もうちょっと頑張ればいいんじゃないの?」と内心思っていたわけです。

でも、ここにきて自分の意志と努力でコントロールできな状況に直面して無力感も感じる数日を過ごしました。わかりやすい状況としては、仕事から戻るとソファで寝落ちする、いくら眠っても寝足りない、頭がぼーっとして仕事に集中できない、風邪のような症状でしょうか。仕事ができないわけではないですが、パフォーマンスは落ちるわけで、仕事が片付かないわけです。瞑想をしてもまったく集中しきらず、邪魔されている感覚が常にあります。

ちょっと気を抜くと、意識をもっていかれて残念なことをしがち、ぼーっとネットサーフィンをしたり、特にほしくもないものを食べたり飲んだりしているのです。ふわふわと浮いたような感覚を感じる時間が長くなってなんとも落ち着きがわるいのですが、そこから抜け出すのも難しい。奇妙な状態です。

外的な影響の大きさを強く感じた1週間でした。多かれ少なかれ、人は外的環境をもって生きているので影響なしで暮らすことはできません。なので、うまく折り合いをつけていかなければいけないわけです。影響要因を目の前にして、「ああ仕方ない」と漫然とうけいれてしまうと、浮遊感にさいなまれ自分の人生が自分のものでなくなっていきます。影響要因とどうやって折り合いをつけるのか、どこまで勝ちにいくのか、これも自分の選択でしょうか。

古い自分のセルフイメージだと、絶対に勝ちに行くという選択肢しかありませんでした。これからどういう選択肢をもってつきあっていくのかもう少し考えてみたいと思います。

ただ、今回確認できたことは、必要以上に人の死を悲しみの種にして時をすごすようなことをしない程度に自分の感情と向き合えるようになったこと、悲しみに打ちひしがれている人に共鳴しすぎなくなって過度に疲労を感じることがなくなったことでしょうか。人によってはそんな薄情な、と思われる可能性もあってそこも人目をきにしたりしていたのですが、もうそんな人目も気にならなくなったようです。

娘は、まだ気が早いのですが、私が死ぬ日を想像したようで、「嫌だ」と言っていました。でもかなりの確率で私が先にしぬわけで、マザコンからもう一歩脱却してもらわないといけなさそうでした。

自分の感覚で、死を悲しみ、それがあっても日々を淡々と過ごしていきたいものです。


















睡蓮と意識

一悟術リーダー ヒーラー 由利真理恵